第1回市民公開講座 「現代の歯科医療が目指すもの 治療から予防へ」
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ストレスと歯科疾患
本文へジャンプ 2007年5月1日 

 



           松本市歯科医師会学術部 窪田歯科医院 窪田裕一
 
 本日は、たくさんの松本市民にご参集いただき、現代の歯科医療の持つ考え方、アプローチの方法の一端についてご紹介できる機会をいただきましたことに対し、市民の方々はもとより関係者及び諸関係機関の方々に厚く御礼申し上げます。また日頃、松本市歯科医師会の公衆衛生活動に対し、暖かな目で協賛・ご支援をいただいていることに対しましてもあらためて感謝申し上げます。

本日の催しがただ一方的に歯科医療サイドからの情報提供に終わるのではなく、我々松本市歯科医師会の最大のステークホルダーである松本市民から直接将来の歯科医療への要望を学ぶことができれば、また今後の市民に開かれた当歯科医師会公衆衛生活動のさらなる充実の端緒になれば幸いに存じます。      

大阪大学の筒井義郎氏のリサーチによれば、現代の日本人の大半の人々が漠然とした何らかの幸福感を抱いて毎日を過ごしているようです。一般にある程度以上のGDP(国民総生産)を持つ国において、市民の多くはほどほどの幸せを感じていることが多いとされています。
 一方同じ調査で、日本では30代が一番幸せで、年齢とともに幸せを感じにくくなる傾向があることが分かっています。ギリシアの哲学者アンティステネスは「人間の最高の幸せとは何か?」「それは幸せに死ぬことだ」と言ったそうですが、多くの日本人は加齢現象や老化した自分を否定的に捉え、年齢とともに熟成することの価値を信じていません。


私は医療の目的のひとつは、患者さんが年齢や個性に応じた質の高い健康を享受することを助け、より有意義な幸せを手に入れることをお手伝いすることにあると考えております。


                 幸せとは何か? Definition of happiness

 ではいったい幸せとは何でしょうか?

 当然、幸福の定義は人それぞれに異なりますが、ストレスと脳の関係から言えば、幸福はコントロールできる範囲の適度な強さと持続時間のストレッサー(ストレス)に適切に対処できる状態で、将来に対するプラスの見通しを信じることができ、自分で自分の運命を決定している実感を持ち、社会の中で自分自身を肯定できる状態を指すと思われます。

強すぎるストレッサーは身体を破壊してしまいますが、逆にストレスがまったくない状態も心身にとって望ましい状態とは言えません。

歯科疾患とストレスとは特に密接な関係があり、診断と治療において患者さんの心と身体に加わっているストレスの実態を知ることは大変重要な意味を持っています。



 強い精神的ストレスやウイルスなどの病原微生物の侵入、寒さや暑さなどの物理的・化学的ストレスが加わったときに、それをストレスとして受けとめるのは脳であり、脳の感覚情報の入り口である視床(thalamus)から入った情報の一方は脳の内側にある古い脳である大脳辺縁系(イヌ・ネコなど哺乳類の脳、limbic system)、その一部である扁桃体(Amygdala)に伝えられ、ここで瞬時に、新皮質(neocortex)が合理的な判断を下す前に、自分にとって好ましいものかどうか弁別されてしまいます。扁桃体は大脳のすべての領域から感覚情報を受けていますが、ストレスが加わるとここで恐怖感や嫌悪感、怒りなどの原始的な感情である情動が生まれます。また視床に入った情報の他方は大脳新皮質に送られて分析された上で大脳辺縁系の一部である海馬(hippocampus)に送られ、長期記憶として蓄えられます。

 扁桃体で情動が生まれると、その結果は内分泌系や自律神経系の総合中枢である視床下部(間脳の一部、Hypothalamus)に送られ、一方では交感神経系が賦活され副腎髄質からアドレナリンやノルアドレナリンが分泌され、心拍出力の増加・血糖値の上昇(アドレナリン)血圧上昇(ノルアドレナリン)が起こり攻撃と逃走の態勢が整えられます。この状態を生体がストレスに対して抵抗しようとする状態である汎適応症候群と呼びます。

しかしストレスが強すぎたり持続時間が長いために人がこれに抵抗できないような場合、受動的なストレス反応に移ります。この時、脳下垂体(pituitary gland)を経由して副腎皮質が刺激され副腎皮質ホルモン(コルチゾール等)が分泌されますが、副腎は肥大し、不安や抑鬱感が亢進し行動意欲は減退し、次第に動きが鈍くなり、胸腺やリンパ節は萎縮して免疫機能は低下し、胃潰瘍や十二指腸潰瘍などの様々なストレスが原因となる病気が起こり心身は疲弊してしまいます。

 現在、歯科疾患の多くがストレスと深い関係を持っていると考えられています。

 動物の場合、歯と顎は摂食や攻撃、捕食行動に欠かすことのできない器官であり、生き残るために本能と情動に従って歯と顎を使い攻撃・捕食・摂食します。
しかし人間の場合、ストレスが加わったり、本能が命じてもそのまま誰かを攻撃したり、その場から逃げ出すことはできません。発達した大脳皮質(理性の脳)が大脳辺縁系の命じるままに情動的な行動を起こすことを抑制しています。
そのため人間においては長期間の強いストレスにより心身が疲れ果て、ストレス関連疾患に陥るのを防ぐ目的で、睡眠中に攻撃衝動を歯ぎしりすることにより発散しているとされています。
つまり歯ぎしりや強い噛みしめにより視床下部の神経細胞の興奮を抑制しストレスの有害な作用を回避しているわけです。

患者さんに歯ぎしりをしている自覚があるかどうか尋ねると多くの人には歯ぎしりをしている自覚はありません。しかしギリギリという音がする歯ぎしりをする人は、歯並びに問題があり奥歯が干渉している人に起こり、正常な咬み合わせの人は多くの場合歯ぎしりを行なっても音がしないのがふつうです。多くの研究から歯のある人の大半が実は睡眠中に歯ぎしりを行なっていることがわかっています。

歯ぎしりは哺乳類はすべて行うと言われていますが、ネズミを拘束したり尻尾に電流を流してストレスを与えた実験によれば、ストレスにより分泌される唾液中のストレスホルモン(コーチゾン)がネズミに木片を自由にかじらせることにより、低下することが判明しています。 

つまり歯ぎしりはもともとストレスから心身を守る安全回路ですが、強すぎる歯ぎしりや噛みしめは歯の咬耗や破折、顎関節や咀嚼筋へのダメージを招き、身体を破壊してしまいます。この状態をDental Compression Syndrome 噛みしめ圧迫症候群 (DCS)と呼び、様々の歯科疾患の原因として大変重要な意味を持っています。


 
                                                    DCS
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