幽霊は此処にいる‥2  
本文へジャンプ2008年1月17日開設 

 



 №33 「WHAT'S ホワイトニング 
2008年2月29日(金)

 

 「顔」の認識は他の「物」の認識とまったく異なる神経経路で行なわれていることが、最近、分ってきたといいます。
(参照:科学技術振興機構報 第456号「サルの赤ちゃんは見る以前から「顔」の印象を知っている」科学技術振興機構(JST)理事長 北澤 宏一→http://www.jst.go.jp/pr/info/info456/)

よく欧米人は「日本人の顔は皆同じに見える」と言い、日本人は逆に「欧米人の顔は皆同じに見える」と言うことがあります。

 実験によれば、生まれた直後のサルにはすでに「顔」に対する興味と識別能力を持っているそうですが、6ヶ月から24ヶ月間、実物の「顔」と顔に似た映像を一切見せないようにして育てたサルに、実物の人の「顔」を一ヶ月見せた場合、人の顔に対する興味が生まれるものの、サルの顔に対する興味はその後、ずっと失われたままになるそうです。

 サルは「顔」に対する認識の鋳型を生まれつき持っていますが、生後初めて「顔」に接すると、身近な「顔」に対する迅速な認識能力だけが発達し、他の種類の「顔」に対する認識能力は生まれず、あらためて別種の「顔」を見せても別種の「顔」に対する認識能力は失われたままになるそうです。
 したがって最初に赤ちゃんに親しく接する人物の「顔」の刷り込みが行なわれ、その顔を構成する目や鼻や口元などの部品の細かな変化をすばやく判断する能力が育つわけです。

 このように「顔」やそれを構成する部品への認識能力は、他の例えば机やリンゴに対する認識能力とは異なる特別な神経回路で処理されています。これは私たち、社会をつくる高等な哺乳類にとって、声のトーンや仕草などの非言語的コミュニケーション(ノンバーバルコミュニケーションnon-verbal communication; NVC)を正確に読み解く能力が集団内で死活を分けることに起因しています。

 「芸能人は歯が命」というCMがありましたが、美しい、輝くような白い歯の持つ力には特別なものがあります。
 最近もあるハイテク機器を開発している優秀な研究者がテレビで自らの研究成果の意義について解説されていましたが、なぜかその人の話している内容に違和感を覚えることに気がつきました。
 お話されている内容はすばらしいのに、なぜか説得力がないのです。
それはその研究者の方の口元に原因があることが、すぐに分かりました。その方は、日々の研究活動に忙しいためか、変色した不ぞろいな前歯をしていました。

 なぜかその歯の印象が、最初に取り込まれてしまい、その方の印象を各段に悪化させていたため、お話になる内容の説得力が失われていたのです。

 このように人間の顔の中で、口元の印象は、目に次いでその人の評価を決定すると言われています。
 高度なプレゼンテーション能力が問われる現代において、きれいな歯並びと輝く白い歯はビジネスマンの基本的なツールになっていると言えないでしょうか?もちろんビジネスマンだけでなく、愛を囁く恋人達にとっても「美しい歯」が大切であることは言うまでもありません。

 最近、歯科医院で歯の専門的な機械的清掃を受けられた方がさらにホワイトニングを希望される割合が増えています。
 
ホワイトニングとは、過酸化水素や過酸化尿素を歯に作用させて、そこから発生するヒドロキシラジカルやヒドロペルオキシラジカルなどのフリーラジカル(ペアになっていない電子を抱え、非常に反応しやすくなっている原子や分子)が、変色の原因となっている着色有機質の二重結合部分を切断し、低分子化することにより「無色化」する仕組みで行われます。
オキシドールを皮膚につけると皮膚が白くなってひりひりしますが、あれと同じことを歯に起しているわけです。

ホワイトニングは歯科医院内で行なうオフィスホワイトニングと患者さんが自宅で行なうホームホワイトニングに分れ、どちらも保険が効きません。料金は歯科医院により異なりますが、ふつう前歯12本のみを対象とし数万円以上かかります。
またオフィスホワイトニングとホームホワイトニングを両方組み合わせて行なう、デュアルホワイトニングも行なわれます。

ホームホワイトニングは比較的、強い薬剤(35%過酸化尿素など)を使うことが多いのですが、光触媒を加えた低濃度の薬剤を使うこともあります。歯科医院内で行なうために「お任せ」でできるのが最大の利点で効果も短期間で現れます。1回の施術時間は30分~1時間くらいで、通常、3回~4回の通院が必要になります。
欠点としてはホームホワイトニングに比べ、得られる白さが白墨のようなチョーキー(chalky)なものになりやすいことと、比較的白い色が短時間で褪せることだと言われています。
どちらかと言うと表面の乱反射を増すことにより白く見せる方法が多いのですが、使用する薬剤や方法によって効果が異なります。

ホームホワイトニングは比較的低い濃度の薬剤(10%~20%過酸化尿素など)を使用し、患者さんの歯列に合わせて製作したトレーに薬剤を盛って、自宅で毎日数時間装着します。通常2週間から1ヶ月程度装着する場合が多いのですが、知覚過敏が出る場合など、適宜装着時間を調節します。
ホームホワイトニングの利点は、オフィスホワイトニングに比べ自然な白さが得られることと、後戻りするまでの期間が長めであることだと言われています。欠点はめんどうくさいことで、トレーを装着しなければ効果はでません。

ホワイトニングを行なうに際し、注意しなければならないことがいくつかあります。

1. 保険が効きません。
2. どこまで白くしたいか決めておく必要があります。新庄元選手のような極端な白さを求めるなら、やめておいたほうが無難です。
3. 術中、必ず知覚過敏が出ると思ったほうが間違いありません。もししみる感じが出たときは、作用時間を短くし、知覚過敏改善用の薬剤を使います。
4. ホワイトニング効果は必ず時間とともに失われ、数ヶ月またリタッチ(追加処置)が必要になります。
5. 有機質の変色に対してのみ効果があり、金属イオンによる変色には無効です。
6. 強すぎる変色(ファインマンFeinmanの分類のF3(第3度)、F4(第4度))には向きません。
7. テトラサイクリンの変色歯にはあまり効果がなく、変色した縞の部分がかえって目立つことがあります。
8. ホワイトスポットもかえって目立つことがあります。
9. 亀裂の入っている歯には禁忌です。
10.妊産婦や授乳している方には行なえません。
11.無カタラーゼ血症、エナメル質減形成、高度な知覚過敏症、化学物質過敏症など、ホワイトニングを行なってはいけない禁忌症がいくつか存在します。
12.ホワイトニング中、術後24時間は、色素の再吸着が起きやすいために、色のついた食べ物や飲み物と酸性のもの(タバコ、コーヒー、カレーライス、コーラ、お味噌汁、レモンなど)は摂取してはいけません。禁煙も必要です。
13.特に皮膚や粘膜の弱い方では、薬剤により歯肉や唇に一時的な化学的火傷を負うことがあります。

 アメリカのドラッグストアに行くと何十種類のホワイトニング剤が販売されています。現在、日本で薬事認可されているホワイトニング剤は数種類にすぎませんが、今後、さらに色々な製品が出てくるものと予想されています。
美容的な効果が高いホワイトニングを希望される方は、必ず術前に歯科医院で充分な説明を受けた上で、行なってください。
上手にホワイトニングすれば思った以上のメリットが生まれ、自信のある笑顔でよりアクティブな人生を送ることができるかもしれません。



 №32 「歯科医療と政治その1 
2008年2月28日(木)

 

 国家の経済的な成長と社会保障は両立しないものなのでしょうか?
医療政策について語るときに、この命題に答えなければなりません。

 もし十分な社会保障制度を完備することが、国家の経済的自殺に他ならないとすれば、国民は今の世代の市井の幸せをとるか、国家の将来のために、日々の幸福と安心を犠牲にすべきか選ぶことになります。
 また反対に、国家の経済成長を追及する限り、満足な社会保障を諦める必要があるならば、国民はその政府や国家形態を将来に亘り支持すべきかどうか、考えなおさなければなりません。
レイモンド・チャンドラーが創造した私立探偵フィリップ・マーローは、「プレイバック」の中で、「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている意味がないIf I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. 」と呟きましたが、国家と国民の間にも同じような互恵関係があります。

つまり国際社会で生き残るために、必要な政策を選択し、その政策を実行するために国民を統治できなければ、国家の将来は危うくなります。
しかし大部分の国民が幸せに生きることができなければ、その「国家システム」の下で生きる国民の生活は煉獄と化し、国家の存在意義は権力を握るわずかなエリートのためだけにあることになります。

古代日本では「国家」は天皇そのものを意味していました。

マキャヴェリは「君主論」において、最初に政治機構としての「国家」が存在し、その実力に応じて人民と領地を占有していると考えました。
現代においては、「国家」は一定の領域内に住む住民による政治的共同社会を意味しています。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歴史上の経験としての「国家システム」は、もともと国民の幸せを生み出す装置として考案されたものではなく、あくまで権力闘争の勝者がその勝利の報酬として獲得したものでした。
 現代の国家像とは何でしょうか?
 強力な軍事力と警察力を合法的に独占し、一定の領土、海域、空域で国民に対し権力を行使し、整備された法制度を持ち、官僚や政治家などの専門家集団が国民を統治している政治的経済的集団といったところでしょうか。

18世紀のフランスの政治思想家であり、哲学者のジャン=ジャック・ルソーが提唱した「社会契約(Contract social)」は、国家は人民間の契約により形成されたものであり、社会と社会を構成する国民の間には権利と義務に関する仮想上の契約が交わされていると考えました。国民は国家の主権者であり、徴税、徴兵などの義務を果たし、国家の政治的権力の行使を認める替わりに、国家から一定の生活と安全の保証を受けられる権利があるとする考え方です。
「共同の力をあげて、各構成員の身体と財産を防御し、保護する結合形態を発見すること。この結合形態によって各構成員は全体に結合するが、しかし自分自身にしか服従することなく、結合前と同様に自由である。」
(参照:『世界の名著ルソー』中央公論社)

 実際には国民から委譲された主権は、国家全体の共有物になるのではなく、特定の人物や機関が握ったため、ロベスピエールやナポレオンなどの独裁政治に結びついた歴史があります。

 70年代初頭、アメリカにおいてはマーティン・ルーサー・キング牧師などにより、有色人種の平等な法律上の地位を獲得することを目指す公民権運動が盛んになりました。
 この頃、アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズは著書「正議論A Theory of Justice」の中で、古典的な社会契約説を復活させ、社会の成員の合意による「正義の原理(ロールズ基準)」を主張しました。

第一原理:他者の自由を侵害しない限りにおいて政治的、精神的な自由が許容されるべきである。

第二原理:社会的・経済的不平等が存在するにしても、あくまで全員に平等に機会が開かれた上で生じた不平等でなくてはならない。

第三原理(格差原理):その不平等は社会のもっとも不遇な人々にとっても利益となるものでなくてはならない。

 ロールズ基準を実現可能な政治システムがありえるのかどうかは疑問とされますが、少なくとも常に社会の構成員全体による粘り強い対話により、最良の「国家システム」を探し続けなければなりません。

従来、伝統的に医師会と歯科医師会は自民党を支持してきました。
これは以下の三つの理由が考えられます。

1. 伝統的な保守政策への支持。
2. 政権政党への加担により、医療政策への望ましい影響を期待したため。
3. 日本の社会福祉政策に対する一定の信頼。

しかし現在、かつての医療界と自民党との蜜月関係は終わっています。

 1956年の経済白書で日本政府は、「もう戦後は終わった」と宣言しましたが、その5年後、それまであった鉱山労働者など労働事故の多い職場を対象としていた保険制度を拡充する形で、戦後の混乱がようやく収束した昭和36年(1961年)に日本の「国民皆保険」制度は完成しました。

この公的医療保険制度の維持により、健康保険証を持っていけば、どんな病気でも基本的には一部負担金のみで治療を受けることができ、また国が指定した難病には医療費が免除され、生活保護の受給者など一部負担金が払えない場合も救済制度が用意されていました。
(日本の一年間以上在留する資格を持っている外国籍の人々にも受給資格が与えられます。)
 
 その結果、現在、日本の平均寿命は男性が79.00歳でアイスランドの79.4歳に次いで第二位、女性が85.81歳で第一位(厚労省2007年度資料)を達成しています。健康寿命も男性が71.40歳、女性が75.80歳で世界一、乳児死亡率も1000人につき3.6人で世界最良であり、WHOは健康達成度の総合評価で世界最高の水準であると高い評価を与えています。

 一方、日本の100床あたりの医師の配置数(12人)は1996年のデータですが、アメリカの1/5(63.9人)、ドイツの1/3(35.6人)です。

 また国民総生産額GDPにおける公的医療費の割合は、6.5%で「皆保険政策をとっておらず高齢者向け公的医療制度メディケアと低所得者向け公的医療制度メディケイドしかもたないアメリカの公的医療費6.8%よりも小さい、あり得ないことが現実に起きている」状態になっています。(出典:「医療政策は選挙で変える 再分配政策の政治経済学Ⅳ」権丈善一 慶應義塾大学出版会)

『医療や教育など、ある財・サービスは、所得にかかわらず「平等消費」される方が望ましいと判断した場合、平等消費を実現するという目的を達成するためには政府を利用するという手段しかない。政府を利用せずに市場に任せるとなると、どうしても所得階層に応じて消費格差のある「階層消費」が生まれてしまう。たとえば医療に関して、平等消費が望ましいのか、階層消費が望ましいのか?この問題こそが、「民間でできることは民間に」というスローガンを掲げる政治家を前にして、我々が考え抜かねばならないことになる。』(引用:「医療政策は選挙で変える 再分配政策の政治経済学Ⅳ」権丈善一 慶應義塾大学出版会)

(ちなみに公的教育支出のGDPに占める割合は、OECD諸国中、トルコと並ぶ最下位である29番目の水準である3.7%です。日本では、教育と医療は国際的にも最低水準の予算しか与えられていません。日本の未来を築く鍵となる人間への投資が軽視されていると言えるでしょう。)

日本の医療が少ない経費とマンパワーの中で、良質な医療を達成してきた実態が明らかになっています。

 皆さんは、最近、10年間ほど、日本を代表する経済新聞である日本経済新聞上で、徹底した医療費抑制キャンペーンが継続して行なわれてきたことをご存知でしょうか?
 日経(にっけい)はもともと、1876年に創刊された三井物産が発行していた「中外物価新報」から発展したという生い立ちを持っている、いわば経済界の御用新聞であり、その主張は基本的には財界の意向をなぞる形で書かれています。
 
 日経の社会保障敵視キャンペーンは小泉内閣が誕生した2001年頃から、際立つものになり、竹中平蔵経済財政政策担当大臣のもとで進められた「構造改革」の進展に沿う形で同内閣が退陣した今も相変わらず続け、社会に一定の影響力を与え続けています。

 もし医療界が、社会保障の充実を訴えるなら、まずこの日経の社会保障敵視キャンペーンに対抗できるだけの理論構築を行なう必要があります。

 日経の主張は小泉首相が召集し、竹中氏の市場原理主義政策にお墨付きを与える役目を果たした経済財政諮問会議の主張と不即不離の関係にあります。

 小泉内閣により、サラリーマンの医療費負担の2割から3割へ引き上げ、70歳以上の高所得者(夫婦世帯で年収約621万円以上)における医療費の窓口負担の2割から3割への引き上げ、2008年度からは70歳から74歳における1割負担から2割負担への引き上げなど、経済失政の中でリストラや景気低迷に喘ぐ国民の医療費負担をさらに拡大する政策が断行されました。

 それとともに、再診料を切り下げるなど、史上最も厳しい医療費抑制策を実施しました。
2002年 健康保険法改正 健康保険本人負担率を2割から3割に引き上げ
 2002年 診療報酬の史上初の引き下げ
 2006年 診療報酬史上最大の引き下げ
 2006年 医療制度改革関連法の成立

経済財政諮問会議は、高齢者の増加による社会保障費の自然増にもかかわらず、毎年2200億円の自動的な社会保障費の削減を義務づけていますが、その結果、医師不足による地域医療の崩壊など様々の弊害と社会制度の軋みが顕在化しています。

リストラなどが原因で、国民健康保険料を滞納したために、窓口負担が10割負担になり、胃がんなどが進んでも病院に行くことができずに激痛の中で死んでいくような悲惨なケースが頻発していますが、このようなセーフティーネットの崩壊状況も国民が耐え忍ばなければならない当然の責務なのでしょうか。

現在、経済財政諮問会議は洞爺湖サミットに向けて、21世紀版の「前川リポート」を急遽作成し、新たな構造改革の指針を得ようとしていますが、日本の将来をいつまでも小泉元首相が残した亡霊達に決定させていいのかどうか、現在の政策決定システムが本当に国民の対話と合意の下で行なわれていると言えるのか疑問を感じます。

 日経と経済財政諮問会議が、本来、国民のためにある医療や福祉制度を誰のためにどこへ誘導しようとしているのか、私たちは片時も目を離すことはできません。

参考文献:「医療政策は選挙で変える 再分配政策の政治経済学Ⅳ」権丈善一 慶應義塾大学出版会




 №31 「感情労働Emotional Labor
2008年2月27日(水)



 他の医療や看護と同様に、歯科医療においても、自分の感情をコントロールしなければならない場面が必ずあります。

 例えば、急に歯周病が進んだ方に、患者さんの生活や体調に何か変わったことがありませんでしたかと尋ねると、
「実は、2ヶ月前にくも膜下出血のために主人が急死しました。」と言われたら驚きます。

「夢中になって葬儀などをやり過ごしたのですが、一段落したと思ったら、何もする気がしなくなってしまって‥」

 患者さんの顔を見ると、目に涙が溜まっています。思わずガーゼをお渡しして、涙を拭ってもらい、「大変でしたね‥」と慰めるしかありません。

 愛する人と突然別れることになってしまった生々しい悲しみと苦しみの感情を、歯科医師も担当している歯科衛生士も、そして何よりも患者さん本人が、しばし共有し、沈黙することになります。

 親族を失われたショックと喪失感により、一時的なうつ状態に陥っている患者さんが、免疫力の低下や強い歯ぎしりなどの作用により、歯周病の急性発作を起し、気力を振り絞って来院されたことを理解します。

 しかしいつまでも患者さんと一緒に打ちひしがれているわけにはいきません。

 まず目の前の患者さんの肉体的な苦しみや症状を解消しなければ、何のためにこの患者さんが来院されたか分らなくなります。

 従って、同情し、共感する自分をそこに取り残し、一方で職業人としての歯科医師の意識を取り戻して、冷静且つ合理的に診療を進めていかなくてはなりません。

 また20分後に次の患者さんの診療に移るときには、今まで感じていた深い情動反応をいったん拭い去り、新たな気持ちと身構えで診療に望む必要があります。

 このように医療や看護では、常に自分の気持ちをコントロールし、感情を管理する必要があります。このことを感情管理emotion managementと呼びます。

 やや古い文献になりますが、アーリー・ラッセル・ホックシールは「The Managed Heart: Commercialization of Human Feelings管理される心: 感情が商品になるとき」(世界思想社)の中で、感情社会学とも呼ぶべき分野を展開し、感情労働(Emotional Labor)という概念を提唱しています。

 社会の主要な産業構造が第三次産業にシフトするにつれて、従来の肉体労働と頭脳労働という二項対立で捉えることのできない労働分野が台頭してきました。

 ホックシールの例によれば、それが感情労働であり、フライトアテンダントや看護士などが代表的な職業とされています。

  医療においては、「患者さんに対し嫌悪感や侮蔑する感情を持ってはいけない」、「患者さんに対し怒りを感じてはいけない」、「患者さんに優しく接しなければならない」、「患者さんの前で泣いたり、取り乱したりしてはいけない」、「特定の患者さんになれなれしくしてはいけない」、「患者さんを安心させ、信頼されるようにふるまう」、「患者さんの気持ちに共感する」、「いつも笑顔で相手の目を見て話す」、「どんなときも冷静にふるまう」など、常に医療者としての役割にふさわしい感情管理が要求される場面が続きます。

 ホックシールは、このような感情管理を課せられる労働を感情労働と名づけています。

 医療は知識集約産業であり、頭脳労働であるとともに、もちろん肉体労働でもあり、そして感情労働でもあるわけです。

 感情労働においては、自然に湧き上がる自分の感情を、その場面にふさわしい感情の表出に切り替える必要があります。

 特定の患者さんに対する突発的な情動に襲われても、それが医療の場面にふさわしくなければ転換する必要があります。また逆に、患者さんの気持ちを感じ取り、共感する能力も必要とされます。

 このとき、前者では自分の本当の気持ちと表出感情との乖離に苦しむことがあり、後者ではいわゆる「共感疲労」が生まれやすくなります。

 現代の歯科医療では、単に道路工事のように、むし歯を削って何かで埋めているだけでは患者さんの真の問題は解決せず、その患者さんに固有の「ストーリー」に耳を傾けた上で、その人が置かれている環境や生活歴を理解し、その「ストーリー」を受容した状態で医療を行うことが求められています。

 色々な患者さんの様々な感情に、シンパシーを抱いて、真正面から付き合っていくとき、その場面で求められている医療者としての感情と実際の感情とに齟齬がある場合、自らの自然な感情をコントロールし、管理するスキルが必要となります。

 患者さんの痛みや苦しみを自分の心を使ってもう一度再体験することになりますから。

 私たち、歯科医師あるいは歯科衛生士の教育カリキュラムには、医学や医療に必要な知識や技術の習得が系統的に網羅されていますが、実はこの感情労働に対する科学的な教育は不充分であると言える実態があります。

 したがって、臨床の場面で、いかに合理的に自分の感情を管理できるかという課題は個人の資質に任せられたままになっています。

また患者さんに対する感情のコントロールや感情労働が自らの心身に与える負荷に対しては無防備なまま、臨床の現場に放り込まれるのが普通で、もともとその人が自前で持っている人間力や家庭で受けてきた教育に対応は任せられています。

 リストラや拡大する格差社会、あるいは高度情報社会のもたらすハイパーストレスの中で、必死に生きている患者さんを見るにつけ、歯科医療の教育分野でも、もっとこの「感情労働」に対する系統的な教育やあるいは心療歯科医療に関する実践的な教育を押し進める必要があることを実感しています。

参考文献:「The Managed Heart: Commercialization of Human Feelings管理される心: 感情が商品になるとき」アーリー・ラッセル・ホックシール著(世界思想社)
 
 
 



 №30 「歯の神様2008年2月26日(火)

 

 松本駅前の左手の道をひたすら北の方角に向かって歩いていくと、やがて道は坂道になり、右手に奥州一ノ宮国幣中社鹽竈神社 の分社である「塩釜神社」が見えてきます。

 この塩釜神社の参道の脇にあるのが地元の人から「歯の神様」として、今なお尊崇を集めています石仏です。

 ご尊顔はとっくに摩滅してしまっていますが、仔細に見れば、右膝を立てて左足は胡坐をかき、右手で頬杖を突く、その姿は広 隆寺などにある仏様で有名な「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)」ではないでしょうか?

 元来、半跏思惟像は6~7世紀に弥勒信仰とともに、大陸より伝えられた様式の仏像で、京都府京都市太秦の広隆寺霊宝殿に安 置されている「宝冠弥勒」の他、中宮寺の「弥勒菩薩半跏像」などが有名ですが、お釈迦さまの死後に訪れる暗黒時代から56億7千万年後に現れ世界を救ってくださるとされているありがたい菩薩さまです。

たぶん、この半跏思惟像が「歯の神様」に変わったのは、右手を頬に当てているその姿が、歯を病んで痛みをこらえている姿に重なったためと想像されます。

 「歯の神様」は左肩になにやら大きな筆状の物体を担いでいるように見えますが、これはいったい何でしょうか?

想像ですが、これは高松塚古墳の壁画に出てくる蓋(きぬがさ)であるかもしれません。

蓋は、古代、貴族が外出する際にお供の者が頭上にさし掛けた青や緑色の傘で、木製の骨の上に絹が張られていました。今の傘のように開閉機構はなく、常に開いた状態で誰かが専任して掲げていなければ汚れてしまうために、蓋を使うことは権威の象徴でもあったそうです。

三国時代の新羅(しらぎ)と百済(くだら)では、たくさんの半跏思惟像が造られたと言われています。広隆寺の半跏思惟像は新羅との関係が深いのではないかと思われ、渡来人である秦河勝(はたの かわかつ)とのつながりが疑われているそうです。

大陸の東の端に位置し、親潮や黒潮に洗われる日本列島は、古来、様々な時代の多様な渡来人とそれに付随する文化の波の繰り返しの洗礼を受け、土着する文化と混合し、あるものは捨て去られ、あるものは残り、あるものは改変されて、現在の日本文化をつくってきました。

古代の弥勒信仰が路傍で風雪に曝され、寒暖にひび割れながら、いつしか「歯の神様」として地域の方々の信仰を集めて命脈を保っている姿に、この日本が本来持っているダイナミズムを感じることができます。
 

 参考文献:「シルクロード渡来人が建国した日本―秦氏、蘇我氏、藤原氏は西域から来た」久慈力著 現代書館



 №29 「タバコと歯周病 その3」タバコの依存性と報酬系 2008年2月23日(土)

 

 進んだ歯周病の患者さんに禁煙の必要性を説明すると、すぐに禁煙できる人と、最初から諦めてしまう人に分かれます。

 ヘビースモーカーほど禁煙への意欲が低いのは予想されることですが、強いストレスに曝されている人やうつ状態にある人、重症の2型糖尿病の方でも禁煙の成功率が低いような実感があります。

 これは事実でしょうか?また事実だとしたら、その原因はどこにあるのでしょうか?

 『禁煙なんて簡単なことさ。 今までに百回以上は禁煙している。』という笑い話がありますが、かほどにタバコというシステムの持つ身体的依存性と心理的依存性は強く、一説にはコカイン並だとする話もあります。

 心理的依存は、食後の一服、トイレでの一服、駅のホームでの一服など、今まで積み重ねてきた慣れ親しんだ行動パターンに縛られているために起こる現象で、一日の行動のうち、ロボットのように考えなくても身体が動く自動化された場面で生じます。

 またテレビや映画で、渋い性格俳優が気持ちよさそうにタバコを吸う場面や、美しい女性が洗練された仕草で細身のタバコに火をつけるシーンなどを繰り返し刷り込まれることにより、タバコに対するプラスのイメージや憧れが生まれることも強力なマインドコントロール手段になっています。

 一方、身体的依存は、タバコの薬効成分であるニコチンの持つ薬理作用により生じ、コカインやヘロインや覚醒剤の主成分であるアンフェタミンと同様に、脳の報酬系と呼ばれる神経回路に働きかけることにより起こります。

 私たち人間は、常に刺激や快楽を求め、またそれが生きる意欲を掻き立てる動機になっています。

 人が快感を感じるときは、脳内でドーパミン(※1)と呼ばれる神経伝達物質(※2)が分泌されています。

 コカインもヘロインもアンフェタミンも、快感物質(解脱物質)と似た分子構造を持っているために、ドーパミンが分泌された状態と同じような快感を人間に与えます。

 コカイン:過剰なドーパミンが脳内から回収されることを阻害します。
 
 ヘロイン:ドーパミンの活動を抑える神経細胞の活動を制御します。

 覚醒剤(アンフェタミン):ドーパミンの過剰分泌を促進します。

 アルコール:脳内のドーパミンを一時的に増量します。

 タバコ:ニコチンが脳に強い刺激を与え、ドーパミンやセレトニンを活性化します。

 この結果、脳内のドーパミンの濃度が高まり、過剰な興奮と多幸感がもたらされます。しかし本来のドーパミンの分泌量が減るために、快感を追い求めて、薬物や代償行為への依存症に陥ります。
(「よくわかる脳のしくみ」福永篤志監修 ナツメ社を参照)

 性欲や食欲などの欲求が充足されたときや、誰かに褒められたとき、愛が満たされたときなどに快感を産む神経系を「報酬系」と呼んでいますが、哺乳類の場合、中脳の腹側被蓋野から大脳皮質(腹側線条体の側坐核)に投射(連絡)するドーパミン神経系(別名A10神経系または中脳辺縁ドーパミン路)が報酬系であると言われています。

 ドーパミンは人を覚醒させ、快感を感じさせます。

 私たちはこの「報酬系」が刺激され、その快感、快楽を伴う情動体験が強い潜在的な記憶として残るために、例え一時的な禁煙に成功したとしても、タバコを吸ったときの場面や心理状況が再現されると、タバコを吸ったときの快楽への期待から、報酬系が活性化し、ドーパミンが分泌されます。

 しかし、その分泌されたドーパミンは何の報酬ももたらさないので、強い渇望が生じ、思わずやめていたタバコに手を伸ばしてしまいます。

 依存症の患者さんでは、ドーパミンの活動を抑制して脳内のバランスをとるために必要なセロトニンの(※3)分泌量が減っているために、普通の人より強い快感を感じます。そのため再び強い快感を得るために薬物などへの依存度を深める結果になってしまいます。
 
 一方痛みなどの強いストレスに曝されると、ドーパミン神経系が活発化することが分っています。またうつ状態の患者さんではセロトニンの分泌が減少しているという仮説もあります。

 これがストレスに曝されたり、うつ状態にある患者さんが、タバコに強く依存する理由と思われます。

 では2型糖尿病の患者さんではどうでしょうか?

 ひとつの可能性としては、成人型糖尿病の背景にある過食や運動不足自体が、ストレスから逃れるために起こっている別の意味での「依存状態」ではないかということです。

 そのため、糖尿病の患者さんは依存体質にもともとあるために禁煙がむつかしいのではないか?とも考えられます。

 タバコをやめて太るという方がいらっしゃいますが、腸管の血流がよくなって消化吸収がよくなるとともに、依存対象がタバコから過食へ転換した疑いがあります。

 いずれにしても禁煙指導が一筋縄ではいかない理由の一端が分る気がします。

 歯科診療は毎日が、生まれてからずっと習慣的に行なってきた口腔衛生習慣を変えてもらったり、食生活や睡眠習慣の再考を促したり、歯並びを治したり、顎関節症を治すために、かさばる装置を毎日お口の中に入れてもらったり、筋肉のトレーニングを根気強く行なってもらうなど、患者さんを説得し、その行動変容を起す工夫の連続です。

 患者さんの意欲をかきたて、その行動を変えるノウハウをたっぷり持っている歯科医院における禁煙指導の効果は高く、時には一般医科の禁煙外来で手に負えなかったヘビースモーカーの禁煙に成功して、その人の家族にびっくりされることもめずらしくありません。

 しかし、現行の保険制度では、いくら熱心に禁煙指導を行なっても、歯科医院での禁煙指導はまったく受給対象にならず、最近ではニコチンパッチですら購入することが困難になっています。

 医療経済研究所が発表した「タバコによる経済的損失」は年間7兆3000億円にのぼるそうです。 喫煙者の医療費が1兆2,900億円、間接喫煙者の医療費が146億円、逸失される労働力の損失が5兆8000億円、火災による損失が2200億円だそうです。

 これに対し、タバコ税による税収やタバコ産業に従事する人のもたらす経済的利益の総額は2兆8000億円といいますから、いかに喫煙が社会に無駄な負荷をかけ続けているか分ります。

 禁煙行動を促すもっとも強力な社会的装置である歯科医院を、禁煙政策の枠外に放置したままにしている、この国の医療政策のセンスのなさには辟易します。

 
 (※1ドーパミンDopamineは中枢神経系に存在する神経伝達物質です。実はドーパミンそのものは有毒物質で、

 運動調節、ホルモン調節、快の感情、意欲、学習などに関わると言われています。

 統合失調症の幻覚や妄想は基底核や中脳辺縁系ニューロンのドーパミン過剰によって起こるという仮説があり、覚醒剤であるアンフェタミンはドーパミンの過剰な分泌を促進させ、統合失調症と似たような症状を生みます。

 陰性症状の強い統合失調症患者や、一部のうつ病では前頭葉を中心としてドーパミンD1の機能が低下しているという仮説があります。)
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 (※2神経伝達物質:神経細胞のニューロン間で信号(刺激)をやりとりするために必要な物質。多種多様の物質が知られていますが、以下の3種類に分類されます。

1.アミノ酸 :グルタミン酸、γ-アミノ酪酸、アスパラギン酸、グリシンなど

2.ペプチド類:バソプレシン、ソマトスタチン、ニューロテンシンなど

3.モノアミン類 (ノルアドレナリン、ドパミン、セロトニン)とアセチルコリン

その他一酸化窒素、一酸化炭素なども神経伝達物質と同様の機能を持っています。)

(※3セロトニン:脳内の神経伝達物質で感覚知覚、体温調節、睡眠に関係しているとされています。

 大脳皮質を覚醒させるとともに、意識レベルも調節しています。攻撃衝動や危険な行動を抑制するとともに、不安や恐怖を抑え、気持ちを落ちつかせる働きがあると言われています。つまりセロトニンはドーパミン(快)やノルアドレナリン(不快)の機能を抑制し、平常心を保てるようにします。
 うつ状態の脳では、シナプスにおけるセロトニンの放出量が少なくなることが分っています。)

参考文献:1.「よくわかる脳のしくみ」福永篤志監修 ナツメ社
     2.「脳科学の進歩」田中啓治・岡本仁著 財団法人 放送大学教育振興会2月23

 



 №28 「タバコと歯周病 その2」タバコを吸わない幸せ 2008年2月22日(金)
 


 結論的に言えば、タバコの煙は圧倒的に心身の健康にとって重荷になります。

 タバコの煙には4000種類以上の化学物質が含まれ、そのうち250種類以上が有害物質であり、60種類がベンゾピレン、ニトロソアミン類、キノリン、タールなどの発ガン物質です。

 タバコの煙に含まれる大量の一酸化炭素は活性酸素を生み出すために血管を傷つけ、ヘモグロビンと強く結合し赤血球の酸素運搬能力を奪います。また一酸化炭素は悪玉コレステロールを酸化して、酸化コレステロールをつくり、これが血管の内皮細胞に取り込まれ動脈硬化の原因になります。

 一日20本吸う喫煙者では、

 1.肺がんになる確率は7倍。

 2.喉頭がんになる確率は33倍。

 3.心筋梗塞にかかる確率は3倍。

 4.歯周病になる確率は5倍。

 ヘビースモーカーほど歯周組織の崩壊が急速に進み、治療に対してもなかなか反応しません。
タバコの煙の熱的な刺激そのものも歯肉を傷めますし、歯石をきれいに取り除いても、ニコチンがすぐに歯根の表面のセメント質と結びついてしまい、治療効果が現れません。

 またニコチンの血管収縮作用により、相当歯周病が進んでいても出血が起こりにくいために、歯周病の進行に気がつきにくくなります。喫煙者の歯肉は繊維状で硬く、メラニン色素が沈着して黒く変色(メラノーシス)します。また口蓋に白い小さな瘤状の隆起がたくさんでき、さらに進行すると白板症と呼ばれる前がん病変を起こします。

 一般に喫煙者はひどい口臭を持っている場合が多く、周囲の人が顔を背けたり、密かに辟易しているのに気がついていません。

 5.寿命はタバコを吸ったことにない人に比べて10年以上短くなります。

 6.本人が吸わなくても他人の喫煙により発生する副流煙の吸入で、夫が喫煙者の妻の肺がん死亡率は2倍になります。

 7.喫煙者は肺の機能が急速に低下し、15~20%が肺気腫になります。(慢性閉塞性肺疾患COPD Chronic Obstructive Pulmonary Disease クロニック アブストラクティヴ ポーメネアリー ディジーズ)また慢性気管支炎にもかかりやすくなります。

 8.喫煙者はバージャー病にかかりやすくなります。バージャー病は四肢の太い動脈に炎症が起こり、手足に血液を送れなくなるために、特に下肢が壊死する病気です。
 
 9.この他にもタバコの煙は、胎児の奇形や小児喘息、乳幼児突然死症候群を引き起こします。

 10.タバコは各種がんにかかりやすくするだけでなく、動脈硬化の進行、狭心症、心筋梗塞、脳卒中、脳梗塞、脳出血、くも
膜下出血、高血圧、骨粗鬆症、糖尿病のリスクファクター(危険因子)であることが分っています。

 11.ビタミンCとβカロチンは活性酸素を打ち消す働きがありますが、喫煙者ではたくさんの活性酸素が発生しますので、いきおいビタミンCが不足しがちになります。タバコ1本で25ミリグラム、20本だと500ミリグラムのビタミンCを消費します。慢性的なビタミンC不足になると、皮膚は黒ずんでたるみ皺が増え、いわゆるスモーカーズフェイスになります。歯肉の老化も急速に進行します。

 (喫煙者はβカロチンを大量に摂取すると肺がんになりやすくなるという報告がありますので、タバコを吸う方はβカロチンの 含まれるマルチビタミン錠剤などは避けたほうが安全です。)

 ブリンクマン指数(タバコ指数)=一日に吸うタバコの本数×喫煙年数 

ブリンクマン指数>400 の場合に肺がんが発生しやすくなります。

ブリンクマン指数>600になると肺がんの高度危険群になります。

ブリンクマン指数>1200になると喉頭がんの危険性がきわめて高くなります。

 従ってタバコ指数が400を越えないうちに禁煙することが生き延びる条件になります。
 
 (参照:「タバコをやめよう」石井正敏 著 砂書房)

 なぜ、一年間に地球上で400万人以上の人の命を奪うこんなに危険なタバコという毒物が現代社会と共存しているのでしょう か?
 
 実は 喫煙者の70~90%は禁煙したいと願っているのですが、そのうち禁煙に成功するのは10%程度だと言われています 。

 これはタバコがコカインやヘロインやアンフェタミンと同様に、脳の中の報酬系と呼ばれる回路を刺激し、ドーパミン作動性神 経を活性化させるために、その快楽のとりこになり、強い身体的な依存を起こすためと言われています。

 この他にも食後の一服など習慣化された行動パターンを無意識に繰り返してしまう心理的な依存も、簡単に禁煙できない原因になっています。

 少し長くなってきましたので、タバコと依存の関係については、他日、またとり上げることにして、今日はとりあえずここまでにします。

参考文献:1.「心に働く薬たち」精神治療薬と精神世界を拡げる薬 小林司 ちくまぶっくす60
     2.「タバコをやめよう」石井正敏 著 砂書房

 


 №27 「タバコと歯周病 その1」タバコと潰瘍性大腸炎 2008年2月21日(木)

  

 先日、ある方から「長すぎるブログは誰も読まない」という貴重なアドバイスをいただきました。

 確かにそのとおりで、できるだけ多くの県民に読んでいただきたいと願って始めたブログなのに、ついあれも書こう、これも載せようという筆欲だけが先走り、大変読みにくいものになっていたことを反省しています。

 ご指摘いただいた敬愛する先輩であるF先生に深く感謝いたします。

 そんなわけで、今回は、歯周病の最大の誘因となる「喫煙習慣」について、何回かに分けて考えてみたいと思います。
 
  最近は、レストランやタクシーなど、多くの人が集まったり利用するところでは大抵禁煙規制されています。

 愛煙家は社会の片隅に追いやられ、やれ「禁煙ファシズム」だの「魔女狩り」だのと抗議しても、誰も耳を傾けてくれません。

 歯科医療の場でもタバコは歯周病を進行させる最大のリスクファクターと危険視され、進行した歯周病の治療では、まずタバコをやめることを誓わされます。タバコを吸わない人にとっては当たり前の喫煙規制ですが、当の愛煙家にとっては、「肺がんになるのも承知の上で、好きで吸っているんだからほっといてくれ」といったところでしょうか?

 百害あって一利なしと毛嫌いされるタバコですが、唯一「潰瘍性大腸炎」に対してだけは著効があります。

 潰瘍性大腸炎という病気は、大腸の粘膜にビランや潰瘍ができる原因不明の難治性の病気です。厚労省の指定する特定疾患に分類され、医療費が補助される対象となっています。症状は下痢と痙攣性の腹痛が特徴で、発熱や体重減少、貧血などが続発し、消化器の症状以外にも、皮膚の結節性紅斑(けっせつせいこうはん)、壊疽性膿皮症(えそせいのうひしょう)、眼の内部の炎症(ぶどう膜炎)、関節痛、子供の場合は成長阻害などを引き起こします。

 治療法としては、腸管の炎症を抑える目的で、サラゾスルファピリジン(サラゾピリン)やメサラジン(ペンタサ)投与、ステロイドホルモン投与、血球成分除去療法、免疫抑制剤投与の他に、病状が思わしくなければ、外科療法として大腸の全摘と人工肛門の設置が行なわれる場合もあります。また症状の進行した潰瘍性大腸炎の患者さんの100人に一人が結腸癌になると言われているやっかいな病気です。

 日本における潰瘍性大腸炎の患者数は平成20年現在およそ11万人弱と推定されますが、年々5000人くらい患者数が増えています。若年者から高齢者まで発症しますが、男性で20~24歳、女性で25~29歳に発症のピークが認められます。

 もともと潰瘍性大腸炎は欧米に多い病気であり、アメリカにおいては百万人以上の患者さんがいると言われています。戦後日本においても確実に増え続けていることを考えると、この病気は何らかの環境要因により発症を促されているのではないかと思われます。

 通常、喫煙は消化器の潰瘍に悪影響があり、例えば喫煙者では12指腸潰瘍の発生率はタバコを吸わない人の5倍になりますし、できた潰瘍も治りにくくなります。

 しかしこと潰瘍性大腸炎に関しては、タバコはその発症を予防したり、病態を改善することが分っていますが、なぜそうなるのか原因は分っていません。だからといって現在潰瘍性大腸炎の患者さんに医師が喫煙を勧めることはなく、現代医学のハードプロブレム(解決の難しい問題)のひとつになっています。

 タバコの功罪を論じる時に、もうひとつニコチン酸とニコチン酸アミド(両者を総称してナイアシン)のことにも触れる必要があります。

 ニコチン酸は一日に男性は17ミリグラム、女性は13ミリグラム以上摂取することを推奨されているビタミンB複合体で(一日100ミリグラム以上の過剰摂取により皮膚が痒くなります)、エネルギーの代謝を整える働きがあり、肌荒れや口内炎、口角炎を防止する効能があります。
(エネルギー代謝中の酸化還元酵素の補酵素。生体内では腸内常在細菌が必須アミノ酸のひとつであるトリプトファンからナイアシンを合成しています。)

 かつおの刺身、さば、まぐろ、いわし、牛のレバー、鶏ささみ、しらす干し、たらこ、豆類などに多く含まれ、もともとは昔、インドや南アフリカでしばしば発生したペラグラと呼ばれる皮膚の色がどす黒くなり、胃腸の機能が低下し、神経炎を起し、脳機能も傷害する病気の予防因子として知られています。

 ニコチン酸とタバコの中の毒性物質であるニコチンとは似たような名前ですね。タバコの中には必須ビタミンが含まれているのでしょうか?

 確かにナイアシンとタバコの薬効成分であるニコチンの化学的構造は似ていますが、まったく別の物質です。致死量わずか60ミリグラムの猛毒物質であるニコチンと、皮膚を丈夫にし、神経細胞の働きを活発にし、胃や腸など消化器の働きを促進す欠かすことのできないビタミンとは構造的には親戚ですが、人体への作用は別のものだと考えてください。

 したがって口内炎を治す目的でタバコを食べたら死んでしまいますから、くれぐれも試めさないでください。

 以上、タバコを議論するときに、その功罪について公平にとりあげる意図からまず唯一の利点?について触れました。次回はタバコと健康の関係について引き続き触れたいと思います。なお今週の土曜日の午後1時半から大町市文化会館にて「歯周病の原因、予防、治療」についての市民公開講座が開催されます。タバコと歯周病の関係についてもとり上げますので、より多くの県民の皆様のご聴講を期待しています。

 参考文献:1.「ビタミン伝説」の真実 生田 哲 著 NON BOOK
      2.「現代タバコ戦争」伊佐山芳郎 著 岩波新書
      3.吸う人と吸わない人の「たばこ病」あなたは大丈夫? 徳留修身 監修 たばこ問題情報センター編 
      4.「タバコをやめよう」石井正敏 著 砂書房

○ 第53回「信毎健康フォーラム<大町>」のお知らせ

 長野県歯科医師会では、次の専門家の講師をお招きして、市民を対象にした最新の歯周病治療の現状について知ることのできる
講演会を後援いたします。この機会に是非、県民の皆様のご参加をお待ちしております。

 ◇日時 2月23日(土)午後1時30分(開場午後1時)

 ◇会場 大町市文化会館(大町市大町1601―2)

 ◇講師・講演内容

  松本歯科大学教授  鷹股 哲也氏

  「原因と予防」

  松本歯科大学教授  吉成 伸夫氏

  「治療をめぐって」

  司会 信濃毎日新聞編集委員  飯島 裕一

 ◇協力 信州大学医学部

 ◇後援 長野県、長野県教育委員会、大町市、長野県医師会ほか

 ◇協賛 キッセイ薬品工業株式会社

 聴講ご希望の方は、信濃毎日新聞松本本社事業部(〒399―8711松本市宮田2―10 ファクス0263・26・873
0)の「信毎健康フォーラム」係へ、郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号、聴講券希望枚数を明記し、はがきかファクスでお
申し込みください。順次聴講券をお送りします。講師に質問がありましたら要旨を書き添えてください。




 


 №26 「ファーストピアスはティファニーで?」 2008年2月20日(水)

 

 過日、皮膚科クリニックからの下記のような紹介状を持った40代の女性の患者さんが来院されました。

 『 掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう) 

  お世話になります。

  上記疾患の原因として歯周病、歯科用金属アレルギーが挙げられていますが、金属パッチテストの結果、パラジウムとクロムに陽性でした。

 今、装着されている冠や義歯の中にこれらの金属が含まれているでしょうか?

 もし含有されているようでしたら、金属の入れ替えが必要ですがご検討いただきたくよろしくお願いいたします。』

 患者さんは15年以上前から、掌(てのひら)や足の裏(蹠は足)に小さな膿疱ができるようになり、膿疱の痕は皮がむけてガ サガサになり、痒みも伴い、特に足は熱を持ち、ひどい時は夜寝返りもうてない状態に苦しんでいました。

 当初は水虫やアトピー、異汗性湿疹などを疑い、皮膚科や内科を次々と受診されたそうですが、なかなか症状が好転しないために最近は友人から勧められた民間療法に頼っていたそうです。3年ほど前に、長野県に転居されてきてからは皮膚病に効験があると評判の鉱泉などに通っていましたが、最近、近所に新しく開院された皮膚科クリニックを受診されたら歯科医院へ行くように言われたとのことです。

 歯科用金属にアレルギー(allergy)または過敏症(hypersensitivity)を持っている患者さんが時々いらっしゃいます。

 歯科治療で使われる金属はすべて厚労省が安全性について認可したものですから、通常は問題が起こることはありませんが、もともとアレルギー体質の方では、今までなにも自覚症状がなく経過したのに、ある時から急に痒みや湿疹、膿疱などが発現することがあります。

 アレルギーは、私たちの体を細菌やウイルスなどの外来の異物から守っている免疫というシステムが暴走し、自分の身体を障害してしまう現象です。

 最近、アトピー性皮膚炎や喘息などのアレルギー性疾患が増えていることが問題になっていますが、歯科用金属に対しアレルギーを持つ方も徐々に増えているのではないかという気がしています。

 アレルギーは4種類(I型 、II型 、III型、 IV型)に分類され、このうちI型、II型 、III型は抗体(=抗血清:体内に侵入した異物に結合して毒性を中和したり、異物を凝集させることにより食細胞が異物を食べやすくします)が関与し(体液性免疫)、アレルゲン(=抗原:細菌などの免疫反応を起す原因となる異物)が体内に入ることにより短時間でアレルギーを引き起こすために、即時型アレルギーと呼ばれています。
(最近はバセドウ病などの抗レセプター型アレルギーと呼ばれるタイプをⅤ型として別に取り扱っています。)

 (※食細胞:マクロファージ)

 一方、IV型は過去に抗原に一度出会ったときにその記憶が免疫を担当する細胞であるリンパ球(感作T細胞=Th1)に記憶され(これをその抗原に対して感作されたと言います)、再びその抗原に出会ったときに、感作T細胞が様々のホルモン(サイトカイン)を分泌することにより発症します。

 (免疫担当細胞:単球/マクロファージ、リンパ球(B細胞、T細胞、NK細胞など)詳細は成書を読んでください。)

 このホルモンのことをリンホカイン(lymphokineリンパ球放出因子)またはサイトカイン(cytokine免疫担当細胞以外の細胞も 含めて細胞が出すホルモンの総称)と呼んでいます。感作T細胞が分泌したサイトカインはマクロファージに刺激を与えてその活動を活発化させ、その結果、活性化されたマクロファージが抗原の周囲に集まり、抗原を飲み込み分解します。

 本来、マクロファージ(食細胞)は抗原を処理するために役立つ非常に重要な働きをしているのですが、自分の身体の成分を間違えて攻撃してしまったり、抗原を分解するために放出されるマクロファージ内部の消化酵素がまわりの正常な身体の組織まで障害してしまう状態がアレルギー性疾患です。

 このような免疫担当細胞が主役となるⅣ型アレルギーは抗原に接触してから24時間から48時間経過してから発症するので遅延型アレルギーと呼ばれています。

 本来、抗原となる物質は異種蛋白質が中心で、分子量が1000より小さい物質ではアレルギーが起こりません。したがって金
属単体ではアレルギーを起さないのですが、金属が皮膚や粘膜の上皮にある蛋白質と結合して自分の身体と異なる蛋白質をつくるとこれを非自己と認識してⅣ型アレルギーを起すことがあります。

 これが金属アレルギーです。

 このようにそれ自体単独では抗原とならず、他の蛋白質と結合して初めて抗原となる物質のことを、不完全な抗原という意味でハプテンと呼びます。

 金属はイオン化していない状態(溶けていない状態)ではハプテンとなりませんので、金属アレルギーを起しやすい金属は体内で溶けやすい金属が中心になります

 1.金属アレルギーを起しにくい金属 ナトリウム、カリウム、銀、アルミニウム、鉄、金、チタン

 2.金属アレルギーを起すこともある金属 銅、亜鉛、マンガン、スズ、カドミウム

 3.金属アレルギーを起しやすい金属 ニッケル、水銀、パラジウム、クロム、コバルト

 これらの分類は絶対ではなく、金属は例え金でもごくごく微量が溶け出しますのでまれに金にもアレルギーを持っている患者さんがいらっしゃいます。またインプラントに使われる金属であるチタンは酸素との結合力が強く、強力な不動態被膜と呼ばれる酸化膜を表面につくる性質があり、それ以上金属が溶けだすことを阻止するのでアレルギーを起しにくいと言われています。
コバルト、クロムは単体ではアレルギーを起すのですが、コバルトクロム合金にしてしまうと溶け出しにくくなるために、歯科用 金属として義歯などへの使用が認可されています。(保険内義歯の材料)

 金属アレルギーの症状としては、接触性皮膚炎、扁平苔癬、掌蹠膿疱症などがあります。

 さて掌蹠膿疱症ですが、これは重症化すると関節の変形など起す掌蹠膿疱症性骨関節炎にも移行することがある非常に治りにくい病気です。ただしその原因は単純に金属アレルギーが原因というわけでなく、扁桃腺や歯周病などの病巣感染による細菌に対するアレルギー反応であるとする説や、女性の更年期に発症、月経前に増悪することがあるため、「内分泌障害」という説もあります。
  
 したがって疑われる歯科用金属をすべて除去して、オールセラミックスなどの高額な治療に置き換えたとしても、治る場合もあ
るし治らない場合もあります。多くは可能性のある原因をひとつひとつ取り除いていくという気の長い治療になります。

 患者さんにとっては、完治の保証のない、明日の見えない闘いになるため、周囲の暖かいサポートを欠かすことができません。

 歯科用金属の除去で問題となる最大の点は、保険で認可された歯科用金属が使えない場合、高額な保険外診療で治療しなければならなくなる点です。

 例えば上述の患者さんの場合、パラジウムはインレーや冠に使われる12%金銀パラジウム合金の成分であり、パラジウムの入っていない銀合金を選ぶことができますが、強度がないためにブリッジなどには使えません。また耐蝕性に欠けるという欠点もあります。その場合チタンで製作するか、オールセラミックスクラウンになりますが、どちらも保険診療でカバーされていません。

 またコバルトはコバルトクロム合金という義歯の材料ですが、これを避けるにはプラスティックだけで作った義歯か、チタン製 の入れ歯になります。前者は金属でできたバネや構造材を組み込むことができませんし、強度に不安があり、厚みがある義歯になります。またチタン床義歯は保険外で高価な治療になります。

 金属アレルギーに苦しむ患者さんは、別に保険制度の欠陥にも苦しむことになります。

 願わくば、金属アレルギーの患者さんに限り、保険制度内で救済できるような制度を整えてほしいと思います。

 あと金属アレルギーがあるかどうか調べるテストがありますが、これが歯科では実質的に認められていません。厚労省の定める金属アレルギーのパッチテストは患者さんに上半身の衣服を脱いでもらい、背中に試験用シールを貼って2週間経過を見るものです。
 
 しかし一般の歯科診療室で患者さんに服を脱いでもらうことは社会的コンセンサスが得られません。

 歯科用金属が使えるかどうか調べるのに、いちいち皮膚科に患者さんを行かせてパッチテスト等を行なってもらうのは、本末転倒の観が拭えません。是非上腕の内側で行なうパッチテストを認めて、安全な歯科治療が容易に行なえるように制度の改善をお願いします。

 思春期の女の子がちょっぴり大人の雰囲気を味わいたくて、友達にピアスの穴を開けてもらうシーンで注意することがあります。

 セカンドピアスはピアスの穴が上皮で覆われていますから、まだ安全性が高いのですが、初めてピアスの穴を開けるときは金属と身体の内部が直接接触します。従ってもし初めてのピアスがハプテンをつくりやすいニッケルやパラジウムを含む金属であったり、もともとアレルギー体質の方では抗原感作されてしまうリスクがあります。

 初めてのピアスは信頼のおける施設で、ポーセレンかチタンのピアスやイヤリングを選ばれることをお勧めします。

 

 


 №24 「歯科技工士さんの世界」 2008年2月19日(火)



 皆さんは「歯科技工士」というお仕事をご存知ですか?

 歯科医院に行って型を採って、冠をかぶせたり、入れ歯(義歯)を入れたりするとき、実際にその冠や義歯を作っているのは、 たいていの場合、型をとった歯科医師ではなく、歯科技工士(dental technician)という国家資格を持った医療技術の専門家が つくっています。

 たいていの場合と申し上げたのは、こだわりのある先生方の中には今でも、例えば義歯を圧力釜などで重合(プラスティックを 硬化させること)させて自分でつくる方もいらっしゃるからです。メタルコアと呼ばれる金属の土台やインレーと呼ばれる金属や プラスティックの詰め物、あるいは冠を歯科医師が自分でつくる場合もあります。

 私自身も開業当初はインレーや冠から義歯までつくったことがありますが、やがて忙しくなるにつれて、すべてを「歯科技工士 」にお願いすることになりました。

 特に、年々新しい歯科医療用材料と技術が出現し、それぞれに合わせた高価な専用の設備投資と工学的な知識及び経験が必要になる昨今、技工分野を歯科医師がカバーすることはまったく不可能ですから、専門の理論と技術を習得したプロフェッショナルな人々の助けを借りる必要が生まれているわけです。

 例えば最近急激に増えているオールセラミッククラウンの場合、ジルコニアと呼ばれる人造宝石にも使われる金属並みの強度をもつセラミックの塊から、コンピューターに制御された切削機械が削りだしてつくりだされます。(CAD/CAMキャドキャム、また
はキャドカム:CAD computer aided designコンピューター支援設計/computer aided manufacturingコンピューター支援製造)
 
 このCAD/CAMに使われる製造装置は数千万円もする高額な装置で、なかなか個々の歯科診療所で備えることはできません。また数年すると、さらに優れた機械や材料に替わってしまうために、大規模な専門の技工所でしか設備することができず、歯科医院でジルコニアのオールセラミッククラウンを入れようとすれば、外部の技工所に発注することになります。

 また急速に認知されるようになったインプラントの場合でも、上部構造物と呼ばれているインプラント上にかぶせる冠はさらに 一段と厳しい精密さと強度、美しさを要求されているため、新たな医学知識と医療材料工学の習得、経験が必要になります。

 現代歯科医療においては、歯科技工士は歯科医師に従属する存在ではなく、その人格や知識、経験を尊重される対等のパートナーとなっています。またそうでなければ日々進化し続ける最新の歯科医療の哲学と技術を応用して患者さんの健康を回復し守ることは不可能です。

 歯科技工士は単に手先の器用な職人的技能だけでは勤まらず、現代歯科医学に対する理解と人体の機能や生理に対する正しい知識はもちろんのこと、材料工学や機械工学などの知識と経験、審美的・芸術的な感性、感染予防に対する知識と実行力と衛生観念、旺盛な知識欲と継続的な研修、そして何よりも患者さんの健康に奉仕しているという社会的な自覚がなければ務まる職業ではありません。

 優秀な日本の歯科技工士は国内だけでなく、アメリカやカナダなど世界中で活躍され、卓越した歯科技工士の講演会や研修コースには多くの歯科医師が教えを請うて参集します。

 しかし長年に亘り、軽視され、抑制され続けてきた我国の社会保障における歯科医療費のもとで、歯科医療に携わる関係者は皆疲弊し、特に若い歯科技工士達は次々と転職していくのが現状になっています。

 優秀な次世代の歯科技工士がいなくなれば、安全で良質な歯科医療を国民に提供することは物理的に不可能になり、安全性を管理することができない可能性がある国外に歯科技工を委託する必要が生まれます。

 実際に現在でも、国外に歯科技工を発注する歯科医院があると聞きますが、その場合、日本の正規な教育を受けた「歯科技工士」の有資格者が製作した製品ではなく、例えば何の資格も無い農家の主婦のような方が見よう見まねで作っている場合があるとも聞き及びます。

 正規の医学的教育を受けていない人のつくった冠や義歯は、形は似ていても、本当に大切な生体の生理が理解されていないため、咬み合わせや歯周組織への配慮、生化学的な安全性が確保されているかどうか不安と疑問が残ります。

 今や食料自給率が40%とも言われる日本の食の安全が脅かされている昨今を考えると、このまま歯科医療業界の疲弊が放置され、関連する歯科技工士、歯科衛生士から優秀な人材が失われてしまうと、日本の歯科医療の安全性は「日本の食卓」と同様に根底から崩壊してしまうのではないかと危惧しています。

 歯科技工士を養成するための教育機関は、平成17年8月現在全国に64校あり、高校卒業以上の者を入学資格としています。

 2年制(昼間)と3年制(夜間等)ならびに4年制(大学)があり、定められた学科および実習の全課程を修了し、卒業見込みの者 は厚生労働大臣の定める「歯科技工士試験」を受験し、試験に合格すると、約2週間後に都道府県知事の公示によって「合格証書」が発行されます。
 
 この合格証書と免許申請の必要書類を住所地の保健所に届け出をして、歯科技工士名簿に登録されてはじめて「厚生労働大臣の歯科技工士免許」を取得することができます。(日本歯科技工士会ホームページを参照→http://www.nichigi.or.jp/

 歯科技工士の就職先としては、歯科診療所、大学及び公立、私立病院、歯科技工所のほかに、歯科材料・器材メーカー(例えばインプラント輸入業者など)、教育機関があります。

 今後、歯科医療は再生医療、審美歯科、心療歯科など従来の社会保障で規制された枠以外の分野で国民のニーズに応える動きが続いていきます。それにつれて歯科技工士の職務範囲も各種最先端器機を駆使する臨床工学士的な分野や、患者さんと対面し、歯科医師の仲介のもとで患者さんの審美的機能的な機能回復に協力するスペシャリスト化していくものと予想されます。

 産業構造の転換は時代の要求に合わせて急速に展開されます。

 親の世代で有望と思われた職業は子供の世代では頭打ちになり、逆に現在勢いのない業種が、壁を突き破ることにより、時代の寵児になることが世の中の常と言えるでしょう。

 歯科医療も歯科技工界も、現在は艱難の時を迎えていますが、次世代にはかならず陽の当たる職種と信じております。

 日本のより良質で安全なお口の健康を守るために、アートストとしての感性と向学心に燃える若者による「歯科技工士」への挑戦に期待するとともに、厚労省や経済財政諮問会議の方達が歯科技工士や歯科衛生士の存在意義についてもっと深く配慮してくださることを期待します。

 また各大学の一部では、採算の面から技工士養成を撤廃する動きがありますが、さらなる技工士職能の向上を盛り込み、海外や幅広い職場で活躍できる人材を育てるカリキュラムを工夫され、技工士という職業の可能性を広げるような教育をお願いできたらと願います。

 




 №24 「スタディーグループ考現学」 2008年2月18日(月)

 今日は、歯科医療業界の内側の話を多少披露させていただきたいと思います。

 歯科医師の世界には各種の「スタディーグループ」と呼ばれる勉強会が多数あります。

 「スタディーグループ」にはその狭い地方の医療圏のみの歯科医師が参加するものから、全国的な規模のもの、あるいは国際的なメンバーが揃っているもの、しっかりとした法人格を持った学会に昇格していくものまで、多種多様であり、参加する当事者も歯科医師だけのグループから、歯科衛生士や歯科衛生助手、歯科技工士、歯科医療秘書など歯科医療関係者全般を含めたもの、歯科医療に係わる人以外にも医師や看護士、保健婦、栄養士さんと共同で運営するものまで様々の「スタディーグループ」が存在しています。

 その「スタディーグループ」の設立趣意については、大概、「設立趣意書」や「規約」、「会則」などにより規定されていますが、実際の活動内容からその実態はおおまかに言えば、下記の6種類に分類できます。

 1.学究型(あるいは書斎派):純粋に歯科医学の研鑽を目的に集まった会。長期的な医療費抑制策の中で、このような純文学的なスタディーグループが生き残る余地は乏しくなりつつあります。シーラカンスかイリオモテヤマネコといったところでしょうか。
 
 2.ポスト講習会型(一部他派と重なる):100時間コースや2年間コースなどの有料の研修会受講者を対象に、その後のフォローアップを含めた業者主体の勉強会。今、勢いを増しつつある一派。

 3.経営志向型:学術的な側面より、短期間で手軽に利益を出す企画が喜ばれます。歯科衛生士の患者さんへの応対や医院の総合的な戦闘力を改善、向上するなど、歯科医院の商品価値を高める方向を目指しています。

 4.中間型:学究型から経営志向型に移行する過程にある、中間的なスタディーグループ。利益追求だけだと、歯科医師の自尊心が傷つくと考える分子が混じっています。

 5.エピキュリアン型またはデイケア型:どちらかというとスタディグループの名を借りた親睦の会。余技に学術活動を行なう会だけでなく、まったく学術的な話題の出ない飲み食いだけの会も多く存在します。
構成メンバーの新陳代謝が遅れ、老人だけになると茶のみ友達が集まるだけのデイケア型に移行します。その場合、話題は自分や家族の病気の話ともっぱらだれかの噂話が中心になり、いわばスタディーグループのターミナルステージと言えます。

 6.新興宗教型:強力な教祖的指導者のもとに信者が集まる形で運営されています。指導者のキャラクターがその会独特の雰囲気を醸し出しますが、多くは強権的で反抗するものを許しません。教祖が白と言えば黒いものも白くなるのがふつうで会員の義務と言えば、まず教祖を崇め褒め称えることが至上命題となります。

 どの「スタディーグループ」が優れているというわけでもありません。要は自分のニーズに合った「スタディーグループ」を選ぶことが大切で、波風立てない性格の人がやはりこの世界でも受け入れられます。どうしても自分の目的にあったグループが見つけることができなければ、自分で新しくつくればいいだけの話で、かくいう私も今までに、いくつかの「スタディーグループ」を設立したり、末席を汚したりしてきました。

 一般医科の世界では医師同士の「スタディーグループ」のような勉強会はあまりないものと聞き及びます。私たちの業界だけの特殊な慣習かもしれません。

 歯科医療は次々と開発・発表される新規の技術や材料に結果が左右されることが多く、昨日まで自分が慣れ親しんでいた医療が気がつくと陳腐化していることがよくあります。

 大勢から取り残されるのではないかという不安が「スタディーグループ」を増殖させる原動力になっているかもしれません。

 しかしどの「スタディーグループ」にも必ず寿命というものがあります。

 例外的に40年、50年と続いている「スタディーグループ」もありますが、(我長野県には「長野県矯正研究会」があり、すでに50年近くの歴史を誇っています。)多くは指導者が年老いるとともに、その命脈を断たれます。

 また傑出した指導者のもとに集まった「スタディーグループ」も、その指導者の到達している技量が常に天井で、なかなかそれ以上に伸びる余地は生まれません。優れた指導者のいない集まりは、単なるドングリの背比べで例会を重ねても、お互いの傷口を舐めあっているのが関の山です。

 「スタディーグループ」における内紛や分派活動はめずらしくありませんし、不明朗なお金の問題が表面化することさえあります。

 末法濁世のこの世の様相をそのままコピーているのが「スタディーグループ」の実態ですが、時に気の置けない仲間と忌憚なく語り合う夜もまた人生の楽しみのひとつであることも確かなことです。

 



 №23 「バイオフィルムという名の殺し屋」(奥田克爾先生を迎えて) 2008年2月15日(金)

  さる2月9日(土)松本市歯科医師会館デンタルホールで中信地区歯科医師会学術大会が下記の内容で行なわれました。

 「口腔内バイオフィルムは史上最大の暗殺者」

 メタボリックシンドロームと歯周病の関係

 講師:奥田克爾先生 東京歯科大学微生物学講座教授

 講師の奥田先生は、本年3月末で退官される由、過日、学生諸君に対する最終講義を終えられたとのこと、退官後も各地の市民 公開講座の講演に大変お忙しいスケジュールであるとのことでした。今日は奥田先生のご講義に関連してバイオフィルムについて触れてみたいと思います。

 ○バイオフィルム
 
 よく歯周病は「バイオフィルム感染症」と呼ばれますが、バイオフィルム(biofilm)というのは何でしょうか?

 感染症の古典的なイメージは、身体に侵入した細菌が増えて炎症を起こすわけですから、抗生物質などでこの細菌の増殖を止めれば、感染症を治療できる筈でした。

 ところが抗生物質の効かない非常に治りにくい慢性感染症があることが知られるようになり、それらは細菌が集団で共生することによって、生体のもつ感染防御機構を無効にしていることが分ってきました。これがJ william costerton等が提唱したバイオ フィルム感染症です。

バイオフィルム自体は細菌が作り出すスライム状のぬるぬるした多糖体(菌体外多糖体グリコカリックスglycocalyx:)のことで 菌体(細菌のボディー)の周りを覆っています。

(単糖は糖類の最小単位で、それ以上加水分解できないものを指します。具体的には例えば、生体の重要なエネルギー源であるグルコース、つまり血糖であるブドウ糖や乳製品やガムに含まれる脳糖とも呼ばれるガラクトース、マンノース、果物に含まれるフルクトース、つまり果糖やキシロース、つまり木糖などがあります。)

 (多糖体:多糖体は単糖が鎖状につながった高分子を意味し、デンプンやセルロース、寒天、水飴などはすべて多糖体です。例えば肝臓や筋肉中に糖質貯蔵物質として蓄えられているグリコーゲンはグルコースが鎖状につながった多糖体で、血糖値が下がると分解されてグルコースに変わります。)

 グリコカリックスは細菌が排泄した粘着性の高分子で、中性のポリマーと荷電したポリマーが混じっています。

 その上に他の細菌が接着しやすくするばかりでなく、周囲の水から微量栄養素を取り込んで濃縮する働きをしますので、その栄養素を餌にして細菌が増殖していきます。次第に色々な種類の細菌が雑多に繁殖し発育コロニーは大きくなり、バイオフィルムは成熟していきます。

 最初に歯の表面に接着するのは球菌類ですが、その球菌類の排泄する代謝物を餌として、取り込まれた他の紡錘菌や糸状菌(細長い形をした菌)が繁殖して自身の排泄物を排泄し、その排泄物をまた他の細菌が代謝していきます。

 このようにバイオフィルム内では異なる細菌がお互いの排泄物を代謝することにより、代謝的な協働社会、循環社会をつくって います。同種細菌同士は細菌フェロモンを使ってクオラムセンシング(quorum sensing)と呼ばれる仕組みでお互いの数がどのくらいあるかを感知し合い、代謝速度を調節して増殖に都合の良い環境を保っています。

 この細菌の出すフェロモンはオートインデューサー(クオルモン)と呼ばれる物質で、特定の蛋白質合成を促進させる働きをし ます。細菌の密度が上がると周囲に排泄されたオートインデューサーの濃度が上がるために、細菌内のオートインデューサーの濃度も上がり、蛋白質合成が促進されます。

 クオラムセンシング機構により、細菌はある程度の密度になるまではタンパク質合成を抑え、全体の数が増えると特定の蛋白質、例えば歯周組織を破壊する菌体外毒素など病原因子の産生も加速させます。

 このように細菌はばらばらで数が少ない時は、毒素などを産生せず、バイオフィルム内で数が増えると一気に増殖したり、宿主の健康を脅かす毒素をつくるなど、浮遊している時とバイオフィルムを形成しているときではまったく異なる性質を持つゲリラ戦術の教則本に従ったような生態を持っています。

 このようにバイオフィルムの中では雑多な異なった種類の細菌が集まって、一種の「解放区」のような社会をつくり、何かの 表面に強力に接着するとともに、耐水性のフィルムに守られて共生している状態です。

 細菌自体は1mmの一千分の1程度の大きさで、当然目に見えないのですが、細菌があつまったバイオフィルムは非常に巨大な集落のために、肉眼で観察することができます。それがデンタルプラーク(歯垢)であり、配水管のヌルヌルであり、お湯を何日も替えなかった浴槽の表面につく薄い膜や、川の流れの淀みに沈む岩の表面の水垢様の付着物などです。

 バイオフィルムは流れの淀んだところの表面に接着し、細菌が増殖する足場をつくり、増殖した細菌が離れないように溜めこみ、私たちの感染防御機構や各種薬剤から細菌を守ります。

 体の中でも、水気がある所にはすぐにバイオフィルムが接着してしまいます。歯の表面や金属冠の表面、義歯の表面、インプラントの表面、コンタクトレンズや眼内レンズ、心臓の人工弁、腸などにバイオフィルムが形成されます。実は細菌の99%は単独ではなくバイオフィルム内で生きています。

一度細菌がバイオフィルムで覆われると、私たちの体の免疫システムは細菌を異物として認識できなくなってしまいます。つまりバイオフィルムは免疫システムに対する隠れ蓑の役割を果たしています。抗生物質もグリコカリックスに浸透することができないために、バイオフィルムには無効です。

 通常、バイオフィルム内で細菌はゆっくりと増殖し続けますが、宿主の疲労や病気などで、バイオフィルム外部の環境が細菌の増殖に都合のよい状態になると、バイオフィルムから離脱して、細菌が爆発的に増殖することがあります。歯周病の場合、これが歯周病の急性発作に該当し、急に歯肉が腫れて歯茎から膿が流れ出し、歯がぐらぐら動いてきます。

 通常抗生物質を投与してもなかなか治らないバイオフィルム感染症を治療するには、さらに強力な抗菌剤を投与して細菌を排除するか、機械的にバイオフィルムを取り除くしかありません。

 むし歯や歯周病もバイオフィルム感染症ですが、一生抗菌剤を飲み続けるわけにはいかないですから、歯ブラシやデンタルフロスを使い、歯の表面からバイオフィルムをていねいに取り除いてあげることが最も簡単で効果的な治療法と予防法になります。

 毎日、歯磨きをまったくしていない人はまずいませんが、それでもむし歯ができたり、歯周病ができてしまいます。

 これはエチケットのために何十年間も行なっていた習慣的な歯磨きが実は、本当に除去が必要な歯と歯肉の境目や歯と歯の接触している面などのバイオフィルムをきちんと除去する働きをしていないことに原因があります。

 したがってむし歯や歯周病を治す目的で、習慣的に身についた歯磨きの方法で、ただ歯磨き時間だけを長くしたり、歯磨きの力を強くしたり、歯磨剤の量を増やしてもまったく治療効果は上がりません。

 生まれてから一度も習慣的に磨けなかった所に、歯ブラシの毛先を届かせてバイオフィルムを除去するためには、今までの習慣を変え、新しい正しい方法を発見し、新たに習慣化するという「行動変容」が必要となります。

 ここに歯科治療のむつかしさがあります。

 歯周病を代表とするバイオフィルム感染症は、動脈硬化や骨粗鬆症など全身的な疾患に影響を与えていることが徐々に分ってきました。その詳細については別の機会にまたお伝えする予定でいます。

 今月末に、大町市で信濃毎日新聞様の主催により、歯周病の原因と治療と予防に関するたいへん役にたつ市民公開講座が開かれます。単に歯周病の予防というだけでなく、メタボリックシンドロームなど全身の病気の予防にも関係するお話をお聞きになって、生活習慣病に打ち勝ち、多難な21世紀を力強く生き抜いていきましょう。

参考文献:「The Biofilm Primer (Springer Series on Biofilms)」J. William Costerton 著 springer社



 ○ 第53回「信毎健康フォーラム<大町>」のお知らせ

 長野県歯科医師会では、次の専門家の講師をお招きして、市民を対象にした最新の歯周病治療の現状について知ることのできる
講演会を後援いたします。この機会に是非、県民の皆様のご参加をお待ちしております。

 ◇日時 2月23日(土)午後1時30分(開場午後1時)

 ◇会場 大町市文化会館(大町市大町1601―2)

 ◇講師・講演内容

  松本歯科大学教授  鷹股 哲也氏

  「原因と予防」

  松本歯科大学教授  吉成 伸夫氏

  「治療をめぐって」

  司会 信濃毎日新聞編集委員  飯島 裕一

 ◇協力 信州大学医学部

 ◇後援 長野県、長野県教育委員会、大町市、長野県医師会ほか

 ◇協賛 キッセイ薬品工業株式会社

 聴講ご希望の方は、信濃毎日新聞松本本社事業部(〒399―8711松本市宮田2―10 ファクス0263・26・873
0)の「信毎健康フォーラム」係へ、郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号、聴講券希望枚数を明記し、はがきかファクスでお
申し込みください。順次聴講券をお送りします。講師に質問がありましたら要旨を書き添えてください。





 №22 「日本一がいっぱい」(ヘルスプロモーターとしての歯科医療) 2008年2月12日(火)

 

 先日、ある方から千葉県市川市市長の千葉光行氏が上梓された著書『日本一がいっぱい』(東峰書房)を紹介されました。

 市川市は千葉県の北西部にあり、江戸川を渡れば東京都と接している人口47万人の都市です。住民の所得水準が高く税収も豊かなため、地方交付税のうち財源不足の自治体に交付される普通交付税の交付を受けていません。

 千葉光行氏は1997年の初当選以来、市川市長を3期努められている方で、東京歯科大学市川総合病院に勤務された後に、市川市 高石神の「上田歯科医院」院長として活躍された後、昭和62年に市川市市会議員に初当選され、平成3年から千葉県県議会議員を2 期経験された後、平成9年に市川市長に就任されています。

 市川市は全国初の1%支援制度や市役所職員の採用条件からの年齢や学歴条件撤廃、専門員制度導入、WHO健康都市宣言、「緑と花の市民大学」、全国初のセキュリティー認証システム、電子自治体ランキング4年連続全国第一位、「e-モニター制度」、活動基準原価計算システム(activity-based costing =ABC)を応用した行政のコスト分析、PFI事業(Private Finance Initiative:民間資金やノウハウ等を活用して公共施設を整備したり、公共サービスを提供するために導入された手法)など様々な注目すべき施策を繰り広げています。

 非常に興味ある試みが次々と行なわれていますが、例えば、1%支援制度はハンガリーのパーセント法がヒントになった制度で、支援の申し出をした個人の市民税納税者が納税の際に、予め支援を受ける希望をだしたボランティア団体やNPO法人のリストの中から支援したいと思う団体を選び、その人の市民税納税額の1%に相当する額を市がその団体の支援に当てるという制度です。

 この制度により、例えば平成19年度では、支援を希望する85団体に対して、5633人の市民が支援を申し出、1392万円の支援が行なわれています。支援を希望する団体は公開プレゼンテーションやケーブルテレビで、自分達の活動の目的と内容を自己アピールする必要があります。この結果、様々の分野で行なわれる市民活動がより、市民全体に理解されるようになり、市民が自分の住んでいる地域に目を向けるきっかけとなっています。

 財政的に余裕のある自治体だから可能だったという側面もありますが、ただその優越的な条件に安住することなく、絶えず効率的で良質な市民サービスを行なうには何を行なうべきか、既存の概念に捉われることなく挑戦し続けている軌跡が著書で紹介されています。

 一読して感じたのは、特に行政組織の長になる方の条件として、必要不可欠なものはまず明確なヴィジョンと発想力、豊かな創造性を持つことであり、万人にその考えを伝え、説得する技術を持つ天性のアイディアマンでなくてはならないということです。

 市川氏はパワーポイントを用いて、市職に市川市の現状と問題点、自らの考えを具体的、明晰にプレゼンテーションし、賛同者 を増やしていきました。

 また専門的な能力を持つ市民ボランティアやNPO法人などと連携し、絶えず市民の行動力を生かすような手法を積み重ねてきたことも特徴になっています。

 歯科医師で市長に就任しておられる方には、長野県にも、青木一中野市長さんがいらっしゃいますが、やはり様々のアイディアを出されて積極的に市政を運営されておられます。

 歯科医師という職業は、その性質上、患者さんに客観的に正しいボディーイメージを伝えて、健康への意欲を掻きたて、治療を望む方に口腔衛生習慣や生活習慣の改善を誘導、支援するヘルスプロモーターとしての役割を持っています。

 あくまでも健康を回復したり、維持する主体は患者さんであり、患者さんが望まない限り歯科医師だけがどんなにはりきっても 空回りするばかりです。

 患者さんを中心として、すべての健康に関する情報を与え、的確なアドバイスを行なって、有益な治療意欲を引き出し、専門家 としての技をふるうその行為は、どこか市長さんの役割と似ていませんか?

 歯科医師出身の行政マンが活躍されている秘密の一端がここにあるような気がします。

参考文献:『日本一がいっぱい』(市川市市長 千葉光行著 東峰書房)




 №21 「口内炎が気になるとき」(アフタ性口内炎とアレキシサイミア) 2008年2月9日(土)


 疲れたり睡眠不足の時にできやすい口内炎。痛くてうっとうしくて、日常生活に仕掛けられた小さな不幸といった感じです。

 先日、診療室を訪れた患者さんは『口内炎の預言者』とも呼べる方で

 『いつも冬になるとできやすいのだけど、口内炎のできる日は前日はなにか予感がする。』とおっしゃっていました。

 口内炎の予感というのは初めて聞きましたけれど、そのときの自分の身体の小さな変化も見逃さずに感知する能力というのは、 適度な範囲なら身を守るためにとても重要です。

 慢性化した過度の残業や膨大なノルマに追い立てられ、心身が極度に疲弊した状態に陥ると人間は自分の身体が発する危険信号を感知する能力が失われることがあります。

 これをアレキシサイミア(失感情症 alexithymia) と呼び、アメリカにおけるパーソナリティ障害の精神療法の専門家であるP. E. シフネオス(Peter E. Sifneos)らによって1970年代に提唱されました。

 失感情症は、感情を失って能面のような表情になる状態を表すのではなく、自分が感じている感情やその基になる情動を感知できなくなる病気を意味しています。

 つまり怒りや喜び、悲しみなどの自分の感情に鈍感になり、自分の気持ちを誰かに表現することがむつかしくなります。従って
周囲の人にとっては、何を考えているか分からない人、セラピストにとっては働きかけに対して反応がみられないために、信頼関係(ラポール)を築きにくい人と受け取られがちになります。

 本質的にアレキシサイミアの患者さんは、自己の内面に目を向けることを無意識のうちに避ける傾向が強く、自分が直面している問題の本質的な解決の糸口をつかめないことが多くなります。

 複雑化する現代社会の中で、ハイパーストレスに苦しむ患者さんが多く診療室を訪れるようになっていますが、アレキシサイミ アが疑われる方が、幾人かいらっしゃいます。

 アレキシサイミアと同時に起こりやすい症状として知られているものにアレキシソミア(Alexisomia; 失体感症) があります。

 これは眠気や空腹、のどの渇き、疲労感など、基本的な身体の生理的な要求や警告を自覚できなくなる状態です。アレキシサイミアもアレキシソミアも、真面目で頑張り屋の人に多く認められ、周囲の過剰な期待に応えようと、無理に無理を重ねた状態で起こります。

 重症の歯周病やむし歯を放置している方の中には、もしかするとこのアレキシソミアの状態に陥っている人がいるのではないかと疑っています。

 激務に耐えて、懸命に働き続け、必死にもがいた挙句に、ストレスに対する過剰適応状態となり、自分の怒りや悲しみにも気がつかないまま、身体の痛みや疲れの感覚さえ失い、副腎の機能が低下して全身が衰弱して突然死するパターンが多発しています。
 
 周囲の関係者は真面目なあの人がアレキシサイミアやアレキシソミアに陥っていないかどうか、時々手綱を緩めてリラックスさ
せてあげる配慮が必要になります。

 他人の気持ちを推し量り、周囲の要求に応えようと右往左往するうちに、自分自身の身体や心の声が聞こえなくなるなんてかわいそうすぎるとおもいませんか?

 さて話はだいぶ脱線しましたが、口内炎はその背景として、身体や心の警告信号が灯っている場合が含まれています。痛くてうっとうしい口内炎に苦しめられているあなた、最近、疲れていませんか?自分にやさしくしていますか?

 現代人にとって、必要な時に計画的に適切なリラクゼーションを行なえる能力は、強力なサバイバルツールであると言えるでし ょう。

 ○ もっとも頻繁に見られるありふれた口内炎であるアフタ性口内炎についてお話したいと思います。

 お口の内側を粘膜が被っていますが、お口の粘膜は表面から、粘膜上皮、粘膜固有層、粘膜筋板の三つの層から成り立っています。

  粘膜上皮:お口の粘膜上皮は比較的摩擦に強い重層扁平上皮でできています。
  粘膜固有層:コラーゲン繊維(膠原線維;こうげんせんい、collagen fiber)でできている結合組織( 細胞と細胞のまわりにある大量の物質からできていて、体を支えたり、体の中のさまざまな部分の形を維持したり、すき間を埋めたりしています)。
  粘膜筋板:平滑筋(横紋筋とは違いサルコメア=筋節のない筋肉)の薄い層。

 アフタは、何らかの原因でこの粘膜上皮が失われ、粘膜固有層がむき出しになり、その上にフィブリン(fibrin, 繊維素)がつくる偽膜がくっついている状態です。フィブリンは身体が傷ついたときに止血に重要な役目を果たす蛋白質で、血小板と一緒に固まり傷口を塞ぐ役割を果たしています。

 2mmから10mmの楕円形の境界が明瞭な浅い潰瘍が歯肉や頬粘膜、唇などにできて、潰瘍を取り囲む粘膜が赤くなっている(紅曇)のが特徴で潰瘍の底はフィブリンの膜で覆われています。触ると強い痛みがあります。そのままにしていても5~6日で徐々に治り始め2週間で完全に治癒しますが、身体の状態がおもわしくないと再発を繰り返します。紅曇は二次感染の程度が強くなるとより広く強く表れます。

 (二次感染:最初にある病原体により感染が起こり、次に別の病原体により起こる感染を指します。)

 アフタをつくる病気は以下のようにものがあります。

  1.慢性再発性アフタ(chronic recurrent aphthous stomatitis):ふつうアフタ性口内と呼ばれています。
  2.転移性アフタ:敗血症や帯状疱疹など、他の病巣からの血行性感染によりお口の中にアフタができるもの。
  3.Behcet病(Behçet's disease):自己免疫疾患性血管炎と言われていますが、原因は不明です。
  4. その他 遺伝的な疾患など。


アフタ性口内炎ができやすい場所ですが、唇の内側や頬の内側、特に歯肉頬移行部と呼ばれる歯肉の下の深い部分(口腔前庭に近いところ)、舌の側縁部や側縁に近い裏側、上顎の奥(軟口蓋部)、それから犬歯の歯根相当部など粘膜の薄い部分に観察されます。

 逆に付着歯肉と呼ばれている歯茎の硬めの歯肉や口蓋の前方部(皺の寄っている部分)、舌の中央(舌背部)にはできにくいように感じます。義歯のバネや矯正装置の当たっている部分にもできることがありますが、これはアフタ性口内炎でなく褥瘡である場合が多いと思われます。



 アフタができやすい他の条件ですが、お口の中に義歯が入っている場合、特に最近、義歯の裏側を張り替えたり、義歯の修理をしたり、義歯を新調した場合に現れやすくなります。矯正装置が装着されている場合は、初めて矯正装置を入れた時よりも数週間してからの方が現れる気がします。義歯や矯正装置が直接触れない歯肉頬移行部などにできるのが特徴です。

 患者さん側の特徴としては、出張や残業、睡眠不足、風邪のひき始め、胃腸の調子が悪い、偏食、不規則な食習慣など、心身にストレスが加わっている場合に起こりやすくなる他、産後や生理の時もできやすくなります。

 以上から考えると、身体やお口の環境が変わり、お口の中の正常細菌叢(正常口腔フローラ:常在細菌叢)が何らかの原因で霍乱され、病原性の強い微生物が粘膜上皮に感染し粘膜上皮を破壊し、むき出しになった粘膜固有層にレンサ球菌などその他の細菌が二次感染し、なおかつ粘膜の速やかな修復・再生を妨げる因子が作用しているときにアフタ性口内炎が成立しているのかと想像しますが、一次感染の原因菌は発見されていません。

 口蓋の奥や舌側縁などは食べ物や歯に当たり、微小な傷がつくやすく粘膜上皮が欠損して感染しやすくなるため、犬歯歯根の豊隆部は粘膜が薄く、血液の流れが乏しいために傷ついた上皮が修復しにくいためかと思いますが詳細は不明です。

 現在、アフタ性口内炎の病因としては、細菌感染、ウイルス感染、食物アレルギー、ストレス、ホルモンの異常、ビタミン欠乏 、免疫異常などが疑われていますが、本当のところは分かりません。

 臨床上、出会う他の口内炎としてはカタル性口内炎(お口の中が極端に不潔になったときに起こる口内炎)、壊死性潰瘍性口内炎やウイルス性口内炎(ヘルペス性口内炎など)、口腔カンジダ症、ニコチン性口内炎、アレルギー性口内炎(食物アレルギーなど)、カンジダ症(カビ)、白板症(前がん病変)などがあります。
 
 最近、話題になるものとして歯磨剤の中に含まれている発泡剤であるラウリル硫酸ナトリウムやナトリウムラウリル硫酸塩が粘膜を乾燥させ傷つけることが原因となる口内炎がありますが、まだはっきりと確かめられていません。

 さてアフタ性口内炎ができたときは、心身が疲れている警告と捉え、疲労回復やビタミンA(レチノール)、ビタミンB2(リボフラビン)、ビタミンB6(ピリドキシン)などを摂取しましょう。特にビタミンB群を集中的に摂取すると効果的です。

 ○ビタミンA(レチノール):レチノイン酸は、ムコ多糖の生合成を促進して、細胞膜の抵抗性を増強するといわれています。

 欠乏すると、夜盲症、皮膚炎、下痢、感染症をおこします。

 レチノールは過剰に摂取すると、頭痛、めまいなど起しやすくなり気分が悪くなり、嘔吐することがあります。ただしβーカロ
チンなど体内でビタミンAに変わるプロビタミンの形で摂ると過剰摂取の心配はありません。

 多く含まれる食品は、レバー、マーガリン、チーズ、卵、牛乳など。

 ○ビタミンB2(リボフラビン):脂質やたんぱく質、糖質の代謝に関係し、細胞の成長に関係する『発育ビタミン』であるとともに、コレステロールの低下、血液凝固にも関係し、動脈硬化を防ぐ働きもあると言われています。

 欠乏すると、口内炎、口角炎、脂漏性湿疹、眼精疲労になりやすくなります。
 過剰症は知られていません。

 多く含まれる食品は、レバー、牛乳、納豆、卵、チーズ、ヨーグルト、いわしなど。

 ○ビタミンB6(ピリドキシン):赤血球の生成促進、ナトリウムとカリウムの電解質バランスの維持、動脈硬化の原因となるホモシステインを減少させる効果を持っています。腸内細菌が合成してくれるので、ふつう不足することはないのですが、抗生物質を 服用しているときなどに不足しやすくなります。抜歯の際に処方された抗菌剤を飲んだ後にできる口内炎はピリドキシン不足が疑われますが、予めビタミンB6を摂取することで予防できます。

 ピリドキシン単独の欠乏症は知られていませんが、ビタミンB2やニコチン酸(ナイアシン)欠乏と合併すると口内炎、肌荒れ、皮膚炎を悪化させるとともに、悪阻(つわり)を悪化させます。
 過剰症は知られていません。

 多く含まれる食品は、鶏肉、ニンニク、鮭、銀杏など。

 ○ニコチン酸(ニコチン酸と二個トン酸アミドの総称がナイアシン):タバコの葉に含まれるニコチンを酸化して得られるためニコチン酸と呼ばれています。糖質・脂質・タンパク質の代謝に不可欠で、循環系、消化系、神経系の働きを促進するなどの働きがあります。タバコを吸っても循環障害により口内炎は治りづらくなるだけですが、潰瘍性大腸炎だけは喫煙により改善しますが、これはニコチンの作用によるものではなく微量の一酸化炭素が腸の炎症を改善しているという説があります。

 欠乏すると、ぺラグラ(トウモロコシを主食とする地域で見られるナイアシン欠乏症:光線過敏症、消化器全体の炎症による下痢、口内炎、脳の機能不全による幻覚、記憶喪失など)

 過剰症は知られていません。

 多く含まれる食品は、かつお刺身、さば、まぐろ、いわし、牛レバーなど。
 
  お口の中は柔らかめの歯ブラシで弱いちからでやさしく丁寧に小刻みに歯垢を除去してあげる必要がありますが、歯ブラシの柄で傷つけないような注意が必要です。ラウリル硫酸ナトリウムが含まれる歯磨剤の使用は一応止めたほうがいいでしょう。
 お醤油や香辛料、タバコ、お酒など刺激物はなるべく控えてください。

 歯科医院では、ふつうアフタゾロンやアフタッチ、ケナログなどのステロイドホルモン含有抗生物質とうがい薬が処方されることが多く、レーザー照射、高周波通電、薬剤により潰瘍部を焼く治療が行われます。

 あまり症状が長引く場合や、定型的な口内炎の症状と異なる場合は、すぐに歯科医院を受診し、より深刻な病気の症状でないか鑑別する必要があることは言うまでもありません。

 自分の心や身体の現在の状態にもっと注意を向ける必要がある人と、自分の周りの人の心や身体の状態にもっと心を配る必要がある人が混在し、人それぞれ、人生色々というところが、世の中むつかしいところです。