歯科医院を訪れたら‥‥   問診と検査・治療計画  
本文へジャンプ 2006年4月1日 

 
 毎日、様々の症状を訴える患者さんが歯科医院を訪れます。

 詰め物がとれた人もいれば、特定の歯に冷たい水がしみるようになった人、義歯が壊れた人、口臭が気になる人、むし歯の穴が開いているのに気がついた人、中断していた治療のやり直し、噛み合わせが気になる人、口内炎ができた人、歯や顎をぶつけた人、できものが歯肉にできた人、歯茎から出血する人、数え上げたら枚挙に暇はありません。
このようなありふれた症状の陰にも、必ず生活習慣や基礎疾患、歯並び、骨格と姿勢の歪み、習癖、職業、性別、年齢、それまでの治療履歴、パーソナリティー、ストレス、患者さんの医療や健康に対する考え方などの問題が潜んでいます。

 例えば、健康のために毎日酢を飲む習慣やのど飴常用者が引き起こす酸蝕症は広範囲のエナメル質の脱灰を引き起こしますし、喫煙者は例え1日あたりの本数が少なくとも歯周病が進行しやすく、治療に反応しにくい特徴があります。恒常的に晩酌を続けている方は多発性カリエスや重症歯周病を起こし、安全だと信じて毎日噛んでいるキシリトールガムでも、キシリトール以外にむし歯を誘発する成分を含んでいる場合は多発性のむし歯を起こします。転んで前歯を破折した場合も、もし歯並びが悪くなく前歯が突出していなかったら転倒しても歯牙に深刻なダメージを受けなかった可能性があります。強い持続的なストレスを感じている患者さんには噛みしめ圧迫症候群や味覚異常、口腔乾燥症がよく観察されますし、抗がん剤を服用している方、大きな手術や病気を繰り返している方にも多彩な不定愁訴が現れます。

 また患者さん本人にも部位や症状がはっきりと言葉で説明できない訴えもありますし、歯科疾患との関連性があるのかはっきりしないケースも多々あります。
歯や歯肉がピカピカ光り、食べ物が歯にくっつくようになったとか(注1)、就寝してから一時間ほどすると片側の耳たぶの裏側に激痛が走りよく眠れない(注2)など、一見何が原因なのか判別しがたい訴えもたくさんあります。

 お口の中は感覚が鋭敏なため、小さな段差や粗ぞうな面、あるいは一見問題がないと思える歯の豊隆が強い違和感を生じさせることがあります。また下の奥歯に痛みを感じるのに原因となる病変が上の歯にある場合など、症状と部位が一致しない関連痛、放散痛はごくありふれた症状として経験されます。咬み合わせが低くなりすぎたり、左右のバランスが失われてる場合、下顎を三次元的に動かす際に干渉がある場合など、顎を動かす筋肉や関節、頭蓋を支える筋肉及び全身の姿勢を制御する筋肉に負担がかかるため、当該筋肉の痛みや関節の機能障害、変形などの他、自律神経系への影響も現れます。背中や肩や後頚部のしつこい痛みが咬み合わせと関係がある場合は多く、また全身的な姿勢の歪みが逆に咬合に影響を与えます。

 
できるだけ再発率を抑えるために一口腔単位で歯科治療を行う場合、一番重要なステップは診断と治療計画にあります。

 もちろん個々の治療ステップ、例えば根の治療をするときにラバーダム防湿をかけるとか、冠の型をとるときに歯肉圧排を省ないとかも大切ですが、主訴や主訴の背景に隠れている病気の本質が何なのか発見し理解することが、迂遠なようですが、結局一番安全で効率的な治療になります。

 最も避けなければならないことは、明確な主訴の原因が分らないままに、その患者さんには適応してはいけない画一的な治療を行い、かえって症状を悪化させてしまうことです。特に重症の線維筋痛症(注4)になりやすい素地をもった患者さんや他の心身症の不定愁訴をもった患者さんを診るときには、十分な病歴聴取を行い、患者さんを取り巻く社会的環境や患者さんの医療に対する考え方を知り、コンプライアンスを高めていく過程を避けてはいけません。極端な物言いをすれば、困難な症例の場合、その患者さんが今朝トイレの中で何を考えていたか類推できるところまで分析する必要があります。

 現在の保険制度では、特に歯科医療の場合、難症例患者さんの存在を考慮して保険システムがつくられていないと感じています。厚労省からは、すべての患者さんの総合的な診断を初診で行い、治療計画を立案し、患者さんの同意を得てから治療ステップを進めるように指導されていますが、一見簡単な歯科疾患に思えるのに、実は10軒以上の歯科診療所や大学病院を転々としてきた患者さんなどめずらしくありません。めったにない病気、治療がむつかしい病気、医科疾患の合併症など、このような診断にも治療にも通常の何倍も時間と慎重さを要求される場合でも、何ら初診料に加算があるわけではありませんから、半日近くかけてかけてカウンセリングを行って、1800円しかいただけないこともあり、自分がその患者さんの立場だったら、受け入れてくれる医療機関を見つけるのは容易なことではないと感じます。

 複雑化したハイパーストレス社会において、患者さんのかかえる病気も、診断や治療が困難なケースが確実に増えています。常に歯科医療に携わる者は、最新の医学的知識を研鑽するとともに、すべての患者さんの訴えについて謙虚に偏見のない姿勢で臨む必要があります。

 そのためには、まず予見を持たずに患者さん自身とその訴えをすべて受け入れる必要があります。患者さんと病気は分離したものではなく、病気を含めてその患者さんの全人格を形成していると考え、患者さんの話す言葉、態度、行動を健常人と比較して非難することがあってはいけません。特に重症の歯科恐怖症や過去の歯科治療が原因で歯科医療に抜きがたい不信感を抱いている患者さんのカウンセリングでは、歯科医や歯科衛生士の発する一言が治療を台無しにしてしまうことが多々あり、薄氷の思いで治療を行うことがあります。まず患者さんの話す「物語」をそのままの姿で受け入れ、理解することが治療の出発点になります。どんな主訴にも必ずふさわしい原因があるという姿勢で臨みます。

 詳細な検査を行っても診断がつかない場合は、可能性のある疾患を更なる検査で取り除いていく除外診断を続けるか、高次医療機関や専門医を紹介するしかありません。でも紹介するつもりの大学病院に、すでに他の歯科医院から紹介されて2年間以上通院していたというケースも何例か経験しています。また原因が判明しても、治療法が保険給付されていないので、費用や治療期間の理由から治療できない場合があります。(注3)

 このような場合、社会的な制約もあり歯科医療の持つ限界があり、その時点で選択可能な次善の策を患者さんと相談して選んでいくことになります。例えば歯並びを治すことができない場合、冠を被せることにより咬み合わせを再建するか、取り外しの可能な装置で咬み合わせのバランスを均衡させます。

 忙しい患者さん、治療をしたくない患者さんの主訴への対応にも気を遣います。

 理想的には、すべての患者さんに網羅的な検査と総合診断を行い、治療計画に沿った一口腔単位の治療とメンテナンスを行うべきでしょうし、医療者もそのような治療を望んでいます。しかし、月末までにあと100万円どうしても入金しなければならないと焦る事業者に理想的な治療を受ける余裕がないことは厚労省も理解していただけるものと思います。

 1ヶ月間も歯の痛みに耐えながら金策に走り回り、治療椅子の上でも取引先に電話をかけ続ける患者さんを見るにつけ、日本人は本当に幸せなのだろうかといつも思います。このような場合、とにかく痛みや腫れなどのその患者さんの主訴を取り除くしかありません。それが単純な歯科疾患の場合ならいいのですが、疲労や不健康な生活からくる他の医科疾患との合併症や複雑な病態の場合、医療側も綱渡りの治療になることがあります。

 自分が患者になったときのことを考えると、まず健康なときに検診を受け、自分のバックグラウンドを理解してくれるなじみの医者を用意しておく大切さを感じます。皆様もできるだけ医者にかかる余裕のある生活を送るようにしてください。一時、健康や家族を犠牲にしてまで無理をしても必ず後で後悔や虚しさを感じるケースが多いようです。

 また患者さんの中には、自分自身の健康の価値を不当なまでに低く評価している方がいらっしゃいます。自分自身の評価が低すぎる方、身体を自我と分離した単なる道具か付属物としてしか捉えていない方が認められ、自分自身の幸せを守る意欲が感じられない、あるいは自分が幸せになることを許さない方が見受けられます。

 本来は幼児・学童期に過度の虐待経験(注5)のある方によく見られる現象ですが、このような患者さんは耐え難い激痛や前歯補綴物の脱落などのどうしようもなくない時だけにしか、歯科医院を受診する意欲を持てません。そしてとりあえずの主訴さえ解決すれば二度とその歯科医院を受診することはありません。治療約束は無断で放置して、次に新たな主訴が生じたときには新しい歯科医療機関をドクターショッピングするのです。通常の歯科恐怖症とははっきりと分けて対応する必要があります。このような患者さんへのアプローチは、いわば自殺するために高層ビルの屋上のフェンスの外側に立ち尽くしている人を説得する姿勢に似ています。児童虐待経験者の抱えているトラウマに対するセラピーやリカバリーの方法論が参考になるでしょう。(注6)本来は、十分な経験とトレーニングを積んだ専門家によるカウンセリングとトレーニングが必須なのですが、残念ながら現代の日本社会には、このような特別な弱者を救うためのシステムが特に歯科領域では皆無なのが現状です。

 私たちは、皆、苦しい過去の記憶や経験から立ち直るために、誰かの愛情や支えをいつも必要としてきました。児童虐待を受けてきた方は、避けられない苦痛の記憶から自我を守らなければならないときに、そのようなサポートを一切施されなかった人たちです。せめて歯科診療室を訪れたトラウマに苦しむ患者さんの病態を、尚一層深刻なものにすることだけは避けなければなりません。

 ある程度の経験を積んだ歯科開業医の診療室を訪れる患者さんの多様性を知ると、大学教育で学べる歯科医学教育の領域がこの世界のほんの一部であったことをあらためて感じることができます。

 
治療計画の提示に当たっては、客観的なボディー・イメージと患者さんの過去・及び現在の確認ができる機会を提供することが大切です。

 通常の場合、よほど切羽詰っていない限り、問診、視診、触診(顎顎関節、筋肉・リンパ節・唾液腺・骨格・口腔内等)の他、レントゲン写真撮影、口腔内写真撮影などが行われ、その他に必要に応じて顔貌写真撮影、立位姿勢撮影、顎関節規格撮影、研究用模型採得、咬合診査、顎関節聴診、咬合音検査、血圧測定、体温測定、唾液検査、味覚検査、口臭検査、位相差顕微鏡による細菌検査、特定細菌培養検査等が行われます。

 歯科領域の主訴は情緒的な影響をうけやすいのですが、患者さんは自分の顔貌・骨格やお口の中の状態を客観的に見る事により、また自己の生活歴や習慣、習癖を客観視することにより、自動的に現在の問題点を理解し把握しやすくなります。また歯科恐怖症の患者さんの場合、詳しい問診を行う過程で過去からの脱出をはかる助けにもなります。

 ある意味では、検査、診断の過程ですでに重要な治療が始まっていると考えられます。

 これはある重症の歯周病患者さんの例ですが、生活習慣において詳しく一日の喫煙本数と喫煙年数、喫煙開始年齢からの歯周病の自覚症状の関連をお聞きしている最中に、自ら決意されて40年間続けていたタバコをその瞬間からやめてしまった方がいらっしゃいます。

 ただし検査にあたっては必ずその必要性を説明し、同意を得てから行ってください。特に顎関節機能障害を疑う若い女性に胸鎖乳突筋の触診を行う場合など、セクハラで訴えられる恐れがありますので絶対に無理をしてはいけません。妊娠のおそれのある婦人や学童の場合もレントゲン撮影の説明を必ず行い、保護者または本人の承諾を得る必要があります。

 関連痛の場合、正中を越えて反対側に病因のあることは顎関節症を除けばありません。歯牙の原因歯を探す場合は、試験的に局所麻酔を行う方法もありますし、患者さんがその症状を感じた条件をできるだけ忠実に診療室内で再現するのも有効な方法です。飛行機に搭乗したときに奥歯が痛むなどの訴えは困りますが‥
コラム


2005.5.4本沢温泉



注1:境界領域の口腔乾燥症と歯磨剤に含まれる重曹の作用、ストレスによる口腔機能の低下が原因と思われるため、現在口腔乾燥症に対する治療を行っています。

注2:後頭神経痛の症状に一致するため脳神経外科を紹介したところ、テグレトールの投与と神経ブロックで幸運にも症状が改善しました。





注3:例えば患者さんの主訴の原因が不正咬合にある場合で成人矯正治療が必要な場合、通常、数十万円の治療費用と数年の治療期間が必要となりますし、著しい骨格的な不正咬合の場合、外科的矯正治療が必要となりますが、すべての患者さんが対応できるわけではありません。



成人矯正は保険給付外治療になります。
治療機関:1年3ヶ月
治療費用:37万円



また歯が失われたところにインプラントを植える場合も、手術の必要があり、何十万円もの手術費用が必要になります。

2006年4月から、保険で神経を失った歯の変色を漂白できなくなりました。なぜ保険給付から外したのか、合理的な説明はされていません。つまりこれからの日本国民は歯の変色を直そうとすれば、完全に保険から離れて、100%自己負担で行うしか方法がなくなったわけです。小さいながらも、これは明らかな日本の歯科医療の後退です。




2006年3月まではまでは保険でできた漂白治療
現在は保険診療ではできなくなりました。

注4:線維筋痛症Fibromyalgia
 原因不明の首や肩、腕や腰、背中の痛みとしびれ、こわばり、口腔の痛み、頭痛などが続き、不眠や抑うつ感、体調不良を伴います。鎮痛剤が無効な場合が多く、心理的な葛藤をかかえている場合に多く認められます。他の膠原病との鑑別診断が必要となります。その患者さんにあった理学療法の選択や内観法、心療内科的アプローチが施される場合が多いようです。



























注5:Child abuse
 @身体的虐待
 A性的虐待
 BネグレクトNeglect
 C心理的虐待

    child abuse advocate

注6:About Therapy & Recovery

注7:アダルト・サヴァイヴァー













注8:正しいボディー・イメージ