bV4「枯れ木の森の嘆き」歯髄を残すミニマムな歯科医療
本文へジャンプ 5月21日 
 
 bV4「枯れ木の森の嘆き」歯髄を残すミニマムな歯科医療


↑最小限の切削でレジン充填することにより審美性を回復(下顎の位置のズレを修正)

一生自分の歯で噛める秘訣の第一歩はまず神経を失わないことにあります。しかしむし歯が進み、歯髄が腐敗してしまっているのに、断固として「神経をとらないでください」と言われても、すでに手遅れで、そのまま放置していれば病巣は骨内へ拡大するばかりです。

 エビデンスはありませんが、歯髄を失った歯、つまり神経の死んだ歯の寿命はおおよそ15年くらいではないでしょうか?

もちろん一生持つ場合もありますし、1〜2年で失われることもありますが、臨床的な実感としては、神経が失われてから15年ほど経過すると急に歯根破折が起きやすくなる傾向を感じています。



歯は単なるリン酸カルシウムの塊ではなく、内部を循環する血液と歯根の表面を覆う歯根膜を循環する血液により常に新陳代謝が行なわれている、生きている器官です。

歯髄へ流入・流出する血液は常に一定の量が流れているわけはなく、噛みしめや老化、降圧剤などの血管作動薬、ツボ刺激、下顎骨の内部の神経(下歯槽管神経)への電気刺激などによりダイナミックに変化することが観察されています。

血液により運ばれるブドウ糖や各種アミノ酸、新陳代謝を調節する各種ホルモンなどにより、歯は外部から加えられる細菌の毒素や咬み合わせの圧力や酸の刺激や寒冷・温熱刺激などのストレッサーに対応して、自らの恒常性を保とうと努力し続けます。

その結果、新陳代謝の保たれている歯牙ではいつまでも瑞々しい弾力性を失わず、むし歯や力に抵抗する予備力を持っていますが、歯髄を失うか、老化などにより歯髄の血流量が低下し、歯髄腔(歯の内部の歯髄の納まっている空洞)の石灰化が進行すると、歯は徐々に弾力性が失われ歯根破折を起しやすくなります。

また歯周病の進行により、歯を支えている歯槽骨が失われ、歯の表面に栄養を与えている歯根膜がなくなってしまっても、歯根露出部分の脆弱化が進みます。

したがってホスト(人間)の老化、歯周病の進行、歯髄の喪失という三重苦が重なれば、就寝中の歯ぎしりや乱れた歯並びの咬頭干渉、固い食べ物等により、簡単に歯根が割れてしまいます。

○ 歯髄を保存するポイント

 では歯根破折予防につながる歯髄の保存に努めるにはどうしたらよいでしょうか?

T 患者さんによるセルフケア 

@ むし歯を大きくしない。 ⇒定期検診を受け、むし歯は初期のうちに治療する。甘味制限を行ない、フッ素製剤を使い、十分なプラークコントロールを行なう。

A 口腔乾燥症を予防する。⇒唾液は歯の再石灰化を助け、またその抗菌作用により、歯周病やむし歯を抑制します。従って唾液分泌量が減ると歯茎のむし歯にかかりやすくなり、結果として歯髄を失いやすくなります。

普段のストレスマネージメント、口腔周囲筋のストレッチ、会話や笑いの多い生活などが唾液分泌慮量の低下を予防します。特に女性の場合は、シェーグレン症候群という唾液腺を標的臓器とする自己免疫疾患にかかる可能性が高いので、口の中が乾く傾向のある方は歯科医院で唾液分泌検査を受けられるとよいでしょう。

B 十分な睡眠や栄養バランス、適切な運動習慣、ストレスコーピングなど、生活習慣病を予防し、動脈硬化の進行をできるだけ抑える。

C 強い歯ぎしりや噛みしめの習癖があるかどうかチェックを受ける。

D もしブラキシズム(強い歯ぎしりや噛みしめの習癖)がある場合は、スプリント療法を受けるか行動療法、咬み合わせの調整を受ける。

E ラクビーなどのコンタクトスポーツではマウスガードを装着し、歯の完全脱臼、不完全脱臼を予防する。(⇒脱臼すれば血液供給が止まってしまいます。)

F 歯周病予防に努め、歯槽骨を失わない。(歯根膜からの栄養補給が失われます。)

G 強い酸(黒酢、もろみ酢など)を飲む場合は、直接飲まず、カプセルに入れてから飲む。(酢の飲用習慣により短期間でエナメル質が失われ、内部の象牙質やさらに歯髄が露出し感染しやすくなります。)

H もし歯を失ったら残存歯に過重な負担が集中することを避けるために、欠損部はインプラントや自家移植、矯正的歯牙移動等の手段で咬み合わせの回復を行なう。歯を失った箇所に隣接する天然歯が生きている歯であったら、できるだけその歯を削らない治療方法を選びます。

I 禁煙する。⇒タバコは歯髄の血流を低下させ、歯髄の石灰化が起こりやすくなる原因になると推定されます。

U 歯科医院側のプロフェッショナルケア

@ できるだけ侵襲の少ない治療法を選択する。⇒全部かぶせる冠よりも部分的な冠、部分的な冠よりもアンレーかラミネートベニア、アンレーよりもインレー、インレーよりもレジン充填、レジン充填よりも再石灰化治療を選択します。
 
ただし全部の歯がぐらぐら動いている進行した歯周病のため、支える骨のない歯をブリッジで固定する場合(歯周補綴)など、総合的なお口の老化を防ぐ戦略に従って、歯を削らなくてはならない場合があります。


A 可能ならば冠をかぶせる歯や、ブリッジの土台となる歯(支台歯)の歯髄を除去しない。⇒刺激を遮断するコーティング剤を利用するか、レーザー照射、抗菌性のある仮のセメント材などにより、できるだけ歯髄を保存します。また歯を削るときはなるべく歯髄に与えるダメージが最小になるように注意する。

B 深いむし歯で多少の自発痛があっても、歯髄の血流が残っている場合は、まず歯髄鎮静療法を行なう。⇒抗菌剤などを併用した鎮静療法の効果がかなり期待できます。

C 叢生(歯並びの問題)は歯を削って冠で形を修正するのではなく、成人矯正治療や歯牙再植術等により対処する。
歯牙移動により、欠損補綴の範囲を狭くすることができるならば矯正治療をためらわない。


D 自家移植やインプラントによる奥歯の咬み合わせの場所の確保に努める。



E ブラキシズムの疑われる患者さんに対しては、強い噛みしめや歯ぎしりの害についてお話し、歯ぎしりや噛みしめを軽くするトレーニングやスプリント療法を行ないます。
        
F 冠やブリッジの設計は、安全に歯ぎしりが行えるような咬み合わせの形態にします。

G 動脈硬化と歯髄の石灰化の関係についてお話し、糖尿病などの基礎疾患のコントロールに努めていただく。

H 禁煙を勧め、禁煙の維持を補助する。

I 歯冠部歯髄が感染していても、生活歯髄切断法で歯根部の歯髄を保存できる場合は、その保存を試みる。

神経を失った歯は枯れ木のような状態で、時間がたてば固く脆くなっていきます。従ってまず歯髄を失わない注意が必要になり、歯髄を失った死んだ歯の場合は、できるだけその歯に無理な力が加わらないような注意が必要になります。

また生きている歯の場合は、できるだけ歯を削らない治療が優先されますが、死んでしまった歯の場合には、歯根が裂けるのを防ぐために、冠をかぶせる必要が出てきます。

 一見すべての歯にきれいな冠がかぶっていても、すべて神経を失った歯列は「枯れ木の森」のようなものになり、強い噛みしめや歯ぎしりの力に抵抗することができなくなります。

緑の樹木が立ち並ぶ生命力溢れる森が美しいのと同様に、内部に血液が循環がする、生きている歯は、それだけで自然な美しさとストレスに対する抵抗力を兼ね備えています。

“Save the pulp.”「歯髄を守れ。」というスローガンはどんなに歯科医学が進歩しても変わることのないドグマであると確信しています。