№51 舌診 
本文へジャンプ 4月18日 
 
№51 舌診



 各種唾液検査、口腔細菌検査などは、最近、歯科診療室でも行なわれるようになりましたが、残念ながら保険診療ではルーティンな検査とはなっていません。

 これは厚労省の想定する歯科疾患が、いまだに口腔の病気という枠組みから抜け出していないためで、保険改正により、患者さんの全身状態を踏まえた歯科疾患への対応が強調されましたが、必要な各種検査項目を開放することないままに号令をかけても意味のない所業であると言わざるを得ません。

私たち歯科医師が患者さんの全身状態を診断するのは、問診による既往歴や投薬歴の内容が主な情報源になります。この他には、患者さんの声の調子や、顔色、歩き方、脈、筋肉の圧痛、歯肉の色、発汗などから、患者さんの心身の状態を知ることができます。

 したがって、歯科診療室内ではある程度漢方医学の見方を学んでいると役に立ちます。
漢方の診断は、四診(ししん)と呼ばれる望診、聞診、問診、切診の四つの方法で行なわれ、医師の五感を十分に働かせて治療法を決定します。

1. 望診 顔や上腕の皮膚の色、特に舌の形状や色を見て診断します。

① 舌診(ぜっしん):舌の苔や色、形、舌脈(舌下静脈)の形状を見ます。
② 顔面診:顔の皮膚の色、特に眉間の色からその人の体力を知ります。
③ 尺膚診:前腕裏側の皮膚の色を見ます。

2. 聞診 声の調子や呼吸音、体臭、口臭を観察します。歯科の場合、椅子に座った患者さんの側面に立って話すときに、患者さんの顔のやや上部の顔を近づけ、患者さんの呼気を拾うようにします。近くで腐敗臭気を感じたら歯周病の炎症がかなり進んでいることが分かります。この他にもケトン臭、アンモニア臭なども見ます。

3. 問診 患者さんの主訴、既往歴、現病歴、家族歴の他に、睡眠習慣や食欲、摂食習慣、特に間食の内容、晩酌の有無、口腔衛生習慣、運動習慣、頭痛・肩こり・腰痛・耳鳴などの不定愁訴、ストレスの大きさ、ストレスマネージメント能力などについて尋ねます。

4. 切診 脈診と腹診 

 歯科治療の特性から、特に自由に観察できる舌の様相から、患者さんの全身状態を推定することは、思いがけず有効性の高い診断法であると言えます。毎日、目の前にある貴重な情報源を診断資料の埒外に置いて無視して過ぎるのはもったいないことです。

○ 舌診をする前に

漢方医学の考え方は陰陽五行説、八綱弁証、気血水論、六病位などの概念に基づいています。

つまり陰陽説は、この世のすべてを活動性の陽と非活動性の陰という二項対立で考える方法論で、世界が明暗、火水、寒暖、虚実、吉凶、男女、生死、表裏、精神と肉体などの一対から成り立っているという考え方です。この陰陽の割合からさらに万物を木・火・土・金・水の五つの属性(五行)に分けて捉え、さらに陰の中に陽、陽の中にも陰が含まれていると考えています。

精神は天の気であり、陽として捉え、肉体は地の気、つまり陰として捉えます。精神と肉体が合体しているときが生きているときであり、両者が分離した状態を死として捉えます。

五行(木・火・土・金・水)を内臓(五臓六腑)になぞらえます。
五臓は内部に気・血・精を内部に溜めている臓器で、陰陽の陰に属します。
それぞれ木は肝臓、火は心臓、土は脾臓、金は肺臓、水は腎臓に該当します。

六腑は陽に属し、精・気・水を動かす中腔性臓器で、胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦(該当する臓器はない)を表わし、三焦を除いたそれぞれを、胆は木、小腸は火、胃は土、大腸は金、膀胱は水になぞらえます。

これら五臓六腑は、相生相克(相剋)の原理に従うとされ、相生は下図の赤線の関係で、それぞれ木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ずる関係にあるとされています。

相克は青線の関係で、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つとされます。



○八綱弁証は、表、裏、寒、熱、虚、実、陰、陽のことであり、四診により得られた情報から病気の状態(病位)を診断します。

1. 表裏
 表証:病気が身体の浅い部分に留まっている状態。病気の初期の段階。
 裏証:病気が身体の深い部分に入り込んでいる状態。

2. 寒熱
 寒証:陽気が不足し、寒気を感じ、水っ洟や無色の痰や小水が観察される場合。
 熱証:陰気が不足し、身体がほてり、のどが渇き、色の濃い鼻水や痰、小水などが観察される場合。

3. 虚実
 虚証:病気に対する抵抗力が弱く、もともと身体が虚弱であるか、病気が慢性化した状態。
 実症:病気に対する抵抗力が強く、身体の丈夫な人が病気にかかった発熱や痛みなどの症状が強く出ます。
老人の肺炎があまり熱や悪寒などの定型的な症状が出ないのは、病気に対する免疫力や体力が低下した虚証の状態にあるからです。

4.陰陽
裏証・寒証・虚証を総称して陰と呼び、表証・熱証・実症を総称して陽と呼びますが、実際にはこれらは複雑にからみあうために、単純に陰陽に分けることはできません。
つまり陰を取り出せば、その内部に陽が潜み、陽を取り出せばその内部に陰が隠れているわけです。

○気血水論は、身体を構成する成分を気・血・水に分けて考えます。

すなわち気は生命のエネルギーを意味し、生まれつき持っている気力や食べ物から得られるエネルギー、呼吸から得られるエネルギーなどからなっています。気の量や滞りにより気虚、気鬱、気逆などの状態があります。

血は血液のような赤い液体(西洋医学の血液とは同一ではありません)で、全身に栄養を運びます。水は体内を流れる透明な液体です。

○六病位は、病気の進行状態を表わし、三陰三陽(さんいんさんよう)に分類しています。
1.陽症 ①太陽病(たいようびょう)②小陽病(しょうようびょう)③陽明病(ようめいびょう)
2.陰症 ①太陰病(たいいんびょう)②小陰病(しょういんびょう)③厥陰病(けっちんびょう)

漢方医学では病気が身体の表面から体内に侵入すると考えています。例えば、太陽病は感染症の初期の段階で、頭や首がこわばって寒気がする段階です。風邪の初期症状などが該当します。
 
漢方の治療は、六病位と虚実の分類、すなわち病気の進行状態と病気に対する患者の抵抗力により治療方針を決定します。

陽は病気の症状が活動的に表面に表れている場合を言い、歯周病の急性発作や、発赤・腫脹が明らかな炎症性歯周炎が該当します。

一方、陰は、病気が内側深くにこもっている状態です。長年のヘビースモーカーの歯周病で、血液の循環が悪く、仕事に疲れ果て、体力も衰え、癌などを併発している中高年の歯周病などが該当しているものと考えられます。

○ 舌診の項目
1. 舌色(ぜっしょく):白色、紅舌、紫舌、淡紅舌、淤血(おけつ)など 
2. 舌苔 黄膩苔(黄色い苔)、白膩苔(白い苔)、舌苔の厚みが薄いか厚いか、まったくないか、粘稠度、剥落の有無(地図状舌)、芒棘(舌苔が尖った状態)。
3. 裂紋 舌の亀裂:津液の不足。糖尿病などで舌粘膜の再生能力が低下しています。
4. 老(ろう)、婌(どん):老は老化により水分がなくなり表面が粗ぞうになった状態であり、婌は若々しく瑞々しい舌を表わします。
5. 点刺 点状の隆起。
6. 舌側縁の圧痕:筋肉の過剰緊張やクレンチングを疑う。
7. 舌尖の発赤:心に熱があり、精神的ストレスを疑わせます。
8. 舌のボリューム:胖大舌(はんだいぜつ)、痩舌(そうぜつ)
9. 舌脈(舌下静脈):怒張しているか、目立たないか、湾曲、分岐の有無、開口時の可動範囲、舌硬直の有無
などを診察します。

内容が長くなってまいりましたので、実際の例については別稿で触れたいと考えています。

参考文献:
1.「舌診アトラス手帳」松本克彦・寇華勝 編著 メディカルユーコン
2.「歯科医師・歯科衛生士のための舌診入門 新しい歯科医療の展開」柿木保明・西原達次 著 ㈱HYORON
3.「漢方医学入門 “治せる”医師をめざす 医学生、研修医のためのやさしい漢方医学実践」後山尚久 著 診断と治療社