№101「2200億円マイナスシーリングを再考する」
本文へジャンプ 7月29日 
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            №101「2200億円マイナスシーリングを再考する」

         


  6月24日、日本歯科医師会政治連盟の代表者が自民党政務調査会の谷垣禎一会長を訪れて、「骨太の方針2008」に盛り込まれた社会保障費の毎年2200億円のマイナスシーリング撤廃を強く要望する申し入れ書を手渡しました。(シーリング:概算要求基準)

これは去る6月10日の経済財政諮問会議の席上で、福田首相が強調した財政優先、社会保障費の削減の方針に対する国民の歯科保険を担う立場からの抗議でした。

 一般の県民の皆さんにとって、歯科医師会の政治連盟と聞くと、また何かアンダーグラウンドな領域で政治的な策動をするために暗躍しているのでは、というようなネガティヴなイメージを持たれているかもしれません。

 しかし超高齢化社会の急速な進行の中で、老齢人口が増えるにつれて、治療を必要とする人と医療需要は必然的に増えるわけで、この避けることのできない「自然増」を機械的に削減するという乱暴な方針が続けば、これから熟年あるいは高齢世代に突入する人たちは、資産がなければ正当な医療を受ける機会を奪われ、高額な医療費を請求されて破産するか、適切な医療を受けられないために、路傍で野垂れ死ぬ人が続出する事態を引き起こしかねません。
  実際に市場原理が支配するアメリカの医療で何が起きているのか、知れば知るほど今、日本が突き進もうとしている医療における「構造改革」の将来に不安を覚えます。

 1980年代以降、アメリカでは大企業の納める保険料負担を圧縮する目的で、公的医療を次々と圧縮、削減していきました。その結果、「自己責任」というキーワードのもとに国民の医療負担は増え、民間医療保険への加入率が増加し、保険会社のマーケットは拡大し、自由診療が拡大したことで、医療機器産業の利益も増大しました。

 一方、アメリカの国民一人あたりの医療費負担は、日本のような医療保険制度のある先進国に比べ著しく高額なものになり、平均2.5倍にのぼり、また通常の民間保険の給付範囲も限定されているために、いったん病気にかかり入院すると莫大な医療費を請求されるようになっています。

 例えば、日本で盲腸の摘出手術を行なえば、6420点(2007年現在)ですから、3割負担では患者さんは1万9260円+入院費用(4~5日入院したとしても10万円以下)を支払えばよいのですが、入院日数一日で、ニューヨークでは平均243万円、ロサンゼルスで194万円、サンフランシスコで193万円、ボストンで169万円かかります。(「貧困大国アメリカ」堤未果著 岩波新書 頁66より)

 歯科治療費でも、大臼歯の神経をとる治療が日本では2008年現在、570点(5700円、患者さんの支払いは3割負担で1710円)ですが、アメリカでは専門医が行なった場合12万円以上かかると思われます。

 その結果、アメリカにおける自己破産原因の第二位は医療費負担であり、民間保険会社に管理されている医師も競争による過剰な効率主義により追い詰められています。(第一位はクレジットカード負債)

 医療保険に入っていないアメリカ国民は2007年時点で4700万人いますが、年々増え続け、2010年までには5200万人を越えると言われています。

貧困者向けの公的保険のメディケイドには、資産を全部使い果たした後でないと加入できず、国民は健康な間は会社を通して保険料の安い民間保険に加入できますが、一度病気になり働けなくなったら、高額な自己加入保険に加入するか未保険者になるしか道がなくなってしまいます。

 その結果、アメリカにおいては資産のある人は、人類が今までに獲得した最高の医療技術の恩恵を受けられますが、資産のない人々は命にかかわる病気であっても満足な医療が受けられない状況に陥っています。

現在、アメリカにおける乳幼児死亡率は6.3人/1000人であり、先進国の中では最低の状態です。(シンガポール2.29人/1000人、日本3.9人/1000人、北京4.6人/1000人、キューバ6.4人/1000人、ラオス104人/1000人 ラオスは1998年、他は2002年)

 医療機関は各保険会社と個別に契約していますが、保険会社ごとに異なる請求事務に忙殺され、また入院日数や治療費の総額を常に「評価システム」でチェックされるために、「効率的」な医療を行う医師には高額なボーナスが支給されますが、非効率な医療機関は契約医認定を打ち切られるために、最小限の支出で保険会社にとって「効率のよい」医療を行うことを強制されています。

絶対に市場原理を持ち込んではならない分野が医療であることがよく分ることと思います。

 現在、在日米国商工会は、「病院医における株式会社経営参入早期実現」という市場原理の導入を日本政府に申し入れていますが、市場原理の本質は弱者を切り捨てていくシステムだということをよく認識する必要があります。

「郵政民営化」を掲げ、圧倒的な国民の支持を得て、「構造改革」に猛進した小泉純一郎元首相の下で策定された「骨太の方針」により、社会保障費の機械的な削減方針が決められています。

 その結果、2002年度は3000億円、2004年度は2200億円、2006年度は2200億円、社会保障費が削減される結果となり、その分、国民のうける医療や福祉の量と質の低下が余儀なく起っています。

 あの小泉氏の「聖域なき構造改革」を総括してみれば、「1970年代に中南米で成功した米国の国家戦略上のビジネスモデルを援用したもの」であるという見方があります。(「騙すアメリカ騙される日本」原田武夫 ちくま新書)

郵政民営化は、最終的には郵便局を株式会社化させ、350兆円の貯金、簡保資金を民間マーケットに放出する、それにより株価も上がり経済は好転するというシナリオによって進められていますが、結局それによって利益を得るのは、資金運用に関わる外資系投資ファンドだけであるという結果になりかねません。

誰も抵抗できないキーワードである、「構造改革」の中身が結局、アメリカに都合のよいシステムをつくるものでしかないとしたら、日本の一般国民にとっては悲劇に他なりません。

 「骨太の方針」は首相の諮問機関である経済財政諮問会議が提唱したものを参考に決められていますが、その委員は財界や行政の意を汲む識者で占められています。

前日も、厚労省が、厚労省改革の一環として、外部の有識者による「厚生労働行政在り方懇談会」(仮称)の設置を正式に発表しました。奥田碩(ひろし)トヨタ自動車相談役を座長に、浅野史郎・前宮城県知事や演出家のテリー伊藤氏ら6人で構成されている同委員会ですが、日本を代表する大企業であるトヨタの役員が座長の会議がこれからの日本の厚生行政を決めるとしたら、なお一層の市場原理主義の推進が行なわれるだけで、国民の目線にたった医療改革が行われるとはとうてい思えません。

国家の目的は、国民の幸福を達成することにあり、決して一握りの大企業の利益を保証するためにあるわけではないものと考えます。

いずれにしても、29日に発表される社会保障における「5つの安心プラン」なるものの中身に注目していきたいと思います。

参考文献:
1.「貧困大国アメリカ」堤未果著 岩波新書
2.「騙すアメリカ騙される日本」原田武夫 ちくま新書
3.「失われた十年」は乗り越えられたか 日本経済の再検証 下川浩一著 中公新書
4.「自民党はなぜ潰れないのか」村上正邦・平野貞夫・筆坂秀世 著 幻冬社新書