86 「何が日本を壊すのか?」散逸構造論から見た日の沈む国
本文へジャンプ 6月17日 
 
86 「何が日本を壊すのか?」散逸構造論から見た日の沈む国



 秋葉原での無差別連続殺傷事件から10日ほど経過しました。

4月には、長野県出身の女性がマンションの中で殺されてトイレから流された江東区マンション女性失踪事件もあり、無関係な人間を、相手の人間性を無視してマネキンやゲームの中のキャラクターに準じて扱っているような、ふつうには理解できない事件が続いています。

 2001年に付属池田小学校で起こった無差別殺傷事件に代表されるような、社会への憎悪に満ちた自己破壊的な犯罪を生む土壌が現在の日本にあるのは間違いないことだと思われます。

 これらの凶悪な事件の背景に、格差社会の進行に伴う明日への希望を持てない階層の増加、ゲームや携帯など、生身の現実世界と接触しないですむ仮想現実に依存して生きる人々の増加、氾濫する加工食品に含まれる食品添加物の世代間蓄積による脳への影響などを疑う見方などがあります。

 おそらくどれにも少しずつ真実が含まれていると思われますが、少子高齢化社会の急速に進行する日本の現状から考えた場合、日本という国の生態系としてのシステムが大きく揺らいでいる疑いがあります。

 例えばフラスコに藁の煮出し汁などの栄養物を含む水を入れ、池の水を数滴垂らすと、たちまちのうちに細菌類が繁殖し水は濁ってきます。一週間ほどするとミドリムシやゾウリムシ、アメーバなどの原生動物が繁殖し水は澄んできます。さらにそのまま放置すれば、クロレラなどの緑藻が繁殖し、さらにクロレラを食べるワムシが繁殖します。やがてラン藻やイトミミズが繁殖し、この時点で蓋をしてもかなり長い間、この小さな生態系(エコシステム)の定常状態は保たれます。つまりフラスコの中の生物種はそれぞれ増減を繰り返しますが、すべての種が絶えることなく共生し、長期間生き続けます。

 しかし外部からエネルギーや物質を追加することなく、さらに長期間放置すると、やがてフラスコの中には排泄物が溜まり、栄養が不足し、生態系の循環システムが維持できなくなり、すべての生物は死に絶えていきます。
(参考文献:「有限の生態学」栗原康著 岩波新書)

もし日本が社会学的な意味で完全な閉鎖生態系だったら、いつか国家が滅亡するのは宿命であり、避けることはできません。

 国家は経済の発展段階に応じて、人口構造が変化していきます。
経済が未熟で所得水準が低い段階では、国民の所得や消費財に対する欲求が切実で、経済活動は右肩あがりの旺盛な拡大志向とエネルギーを保ち続けます。

この段階では若年層が圧倒的に多い人口ピラミッドを示し、人間という資源が豊富で労働力の確保が容易であり、将来における消費力の拡大が見込まれ、産業構造が飛躍的に発展する余地を持っています。

やがて社会が成熟化するにつれて、医療福祉サービスの充実に伴い乳幼児死亡率は減少し、平均余命が伸長し、同時に晩婚化が進むために、少子高齢化が進みます。若年層が占める割合が減るとともに、既得権益の集積や階層化、経済と機会の格差が進行し、社会の可能性や活力は失われていきます。

このような構図は日本特有のものではありませんが、日本の場合、島国という地政学的な閉鎖性のために、より先鋭化した形で進行しているものと思われます。

○ 日本と言う名の非平衡散逸構造

エントロピー(entropy)は、物質や熱の拡散の度合いを示す指標(媒介変数)であり、
物質が無秩序に拡散すればするほどエントロピーが増大すると表現します。熱力学の第二法則またはエントロピー増大の法則は、「外界との交流のない閉じた世界では、エントロピーの総量は必ず増大し、戻ることはない」というものです。

砂糖を燃やせば炭酸ガスと炭に変わりますが、この時放出された熱を炭と炭酸ガスを混ぜたものに加えても、再び砂糖に戻ることはありません。物質は最終的には他のものに変換できない熱エネルギーという低級なエネルギーに変換され、そのまま拡散してしまう運命を持っており、この最終形が膨張宇宙論におけるこの世の終末の姿です。

ビーカーの中に閉じ込めた池の水の微生物の生態系が最終的には崩壊する理由は、エントロピーの法則に従ったものと言えます。

1977年、ロシア出身のベルギーの科学者、イリヤ・プリゴジンは「散逸構造の理論」によりノーベル化学賞を受賞しました。

周囲から完全に隔絶し、エネルギーや物質の出し入れがない容器の中の液体などを平衡系と呼びますが、閉鎖系は急速に熱力学的な安定状態を達成し、ミクロの揺らぎにもかかわらず、その状態を維持しようとします。

これに対し、川の流れや火にかけた鍋の中の水のように外部から絶えずエネルギーや物質が流れ込むシステムを非平衡開放系と呼びます。この非平衡開放系では絶えず、外部から取り込んだ化学的に高いポテンシャルを、ポテンシャルの低い状態に変換して外部に放出しつつ、動的に安定した一定の秩序を内部に生みます。

このような絶えず揺れ動きながら一定の動的な定常状態を保つ非平衡開放系にうまれる秩序のことを「散逸構造」と呼びますが、例えば生命や社会もこの非平衡散逸構造の一種と考えることができます。

つまり生き物は外部から物質を取り込み、新陳代謝を行なうことにより、そこからエネルギーを取り出し、蛋白質を作り出し、自らを修復し、恒常性を保ち、そして低級化した化学ポテンシャルを外部に排泄しますが、これは生命そのものが非平衡系における散逸構造であることを意味しています。活性酸素の作用や遺伝的に組み込まれた細胞の機能停止により、自らのシステムを保つ能力を失ったときが生物学的な死にあたるわけです。

日本も江戸時代のように鎖国をしているわけではなく、食料の大半を外国に依存し、人と物と思想の流入・流出を繰り返しつつ、「日本」という枠組みを保っているわけですから、非平衡散逸構造であると解釈できます。

一方、非平衡系においては絶えずそのシステム全体または部分を不安定にするような揺らぎが生じています。

例えば蝋燭の炎は周囲から酸素と炭化水素の分解産物を供給されて炎と言う定常状態を作っていますが、ミリ秒単位で観測すれば絶えず小さな渦が沸き上がっては崩れる「ゆらぎ」を繰り返しており、炎はこれらの「ゆらぎ」を吸収して一定の状態を保ち続けます。

滔々と流れる川の流れも、部分を断片化して観察すればいくつもの渦の消長が絶えず観測されます。これらの揺らぎの協同作業により非平衡開放系は一定の定常状態を作っているとも言えます。

水が0℃に冷却され凍るとき、最初に水の表面に氷核が突然発生して凍り始めます。安定した環境で細い管に入れるなど様々な条件下で、0℃以下になっても凍らない過冷却状態の水を作ることができますが、振動や刺激などが加わると一気に氷結してしまいます。

水を加熱して蒸気にする場合でも、刺激により微小な気泡が最初に発生し、それがきっかけとなって一気に沸騰します。

このようにある物質の状態が別の状態に変わることを相転移と呼びますが、非平衡開放系は、振動で生まれる小さな氷核や気泡のような「ゆらぎ」が大きくなると、ある時突然、システム全体の定常状態が崩壊し、別の定常状態に相転移する性質を持っています。

若者は未来に対する可能性を持ち、老人に残されるものは過去の記憶だけです。もし未来の選択枝の大きさをエネルギーのような物理量として表わせば、少子高齢化の進む日本における「選択可能性」は非常に小さい値として表わされます。

そこでは既得権の集積が起こり、疲弊した官僚制度による硬直化が進行し、富や教育機会が世襲され、2世、3世、4世ばかりの政治家が国政の場を支配し、労働者の三分の一が正社員の職を得ることができず、貧富と機会の格差は拡大し、ごく少数の人々が残りの大多数を経済的、政治的に支配し、異分子は迫害され、弱者は強者に搾取され、一度、浮かぶ機会を失ったら這い上がることは容易ではありません。

経済格差と未来に対する深い絶望と疎外感は、他者に対する救いのない怒りと憎悪を醸成し、テロリズムの温床になります。

過去には政治的な動機で起こったテロリズムが現代では、仮想現実に埋没し、生命や他者に対するリアルな実在感覚を失ったボーダーライナー等によって気まぐれに引き起こされます。

彼等にとって犯罪は一時的な怒りの放出に過ぎず、何ら合理的な理由は持ち合わせていません。また犯罪行為そのものやその結果、被害を受けた他者の人格に対しても何らリアリティーを感じていません。自分の生命に対してさえ、現実感覚が希薄ではないかと思われる節があります。

いわば彼等は「バーチャルテロリズム」とも呼ぶべき所業に陥っています。

このような日本社会における「ゆらぎ」を日本という非平衡散逸構造が吸収し、定常状態を保つことができるのか、それとも水が氷結する前に現れる氷核のように、社会全体が相転移する前兆なのか、誰にも予測することはできません。

一般的論から言えば、社会人になってからも、一度や二度の挫折にかかわらず、専門的な資格やキャリアを積む機会を制度として意欲をもっている人達に与えることが重要だと思われます。

例えば大学教育の単位を長い年月をかけて職業を持つ社会人が取得できるように再編し、各大学間で共通のコアカリキュラムをつくり、その部分の単位は大学間で置き換えができるような教育システムをつくります。時代に適合しなくなった斜陽産業に従事していた人たちが、別の産業に転職できるような能力を身につけられる助成制度をつくることも有効だと思われます。

夜間クラスの充実や大容量の通信回線を使用したオンデマンドな次世代の通信教育システムなども、再起を図る社会人にとって朗報となるのではないでしょうか?

少子化の進行が避けられない運命だとしたら、人口構造の中核を占める勤労世代の再教育、再チャレンジのシステムを構築することが意味のある政治になるものと思われます。

その結果、誰も自分を見捨てていないことが実感できれば、悲惨な「バーチャルテロリズム」の発生とその被害から社会を守ることにつながります。

テロリズムを力だけで抑えることができないことは、アフガンやイラクにおいて世界最大の軍事力を振るう国がすでに実証しているではありませんか?

それにつけても、日本の若者がきわめて内向き志向になっていることに驚かされます。
「日本がだめなら世界があるさ」とチャンスを求めて日本を捨てさり、一歩外から日本を見れば、また異なる展開が生まれるかもしれません。

キブツで育てられ、通過儀礼として世界中を商売しながら放浪する経験を積むイスラエルの若者のたくましさがうらやましくなります。

参考文献:
1.「有限の生態学」栗原康著 岩波新書
2.「確実性の終焉 時間と量子論,二つのパラドクスの解決」イリヤ・プリゴジン著 出版社名:みすず書房
3.「地球生命圏 ガイアの科学」ジム・ラブロック著 工作舎