77 「痛覚と恐怖感の制御」最新の無痛治療
本文へジャンプ 5月28日 
 

 


 77 「痛覚と恐怖感の制御」最新の無痛治療

 歯科治療に対する強い恐怖感を持って来院される患者さんの場合、歯科医院が怖くなったきっかけが、「生存の危機(Crisis of living)」を感じた瞬間にあったケースを多く経験します。

小学生くらいのときに、「押さえつけられて治療を受けた」、「治療を嫌がってあばれたら歯医者に怒られた」、「痛いのに無理やり削られた」、「いきなり抜歯された」、「神経をとられるときにすごく痛かった」等々の経験をすると、一生、歯科医院に足が向かなくなります。

成人でも、以前来院されたパニック障害の患者さんは、大きな病院の歯科待合室で気分が悪くなって倒れ、気がついたらベッドの上で点滴を受けていた経験をされてから、どうしても歯科治療が受けられなくなりました。

この方の場合は、歯科治療を受ける前に通常のパニック発作を起しただけなので、歯科治療そのものに原因があるわけではないのですが、突発的な負の記憶が歯科治療のイメージとリンクしてしまっています。

痛みは、感覚受容器から入力される感覚的な痛みと、過去の経験からくる情緒的な痛みが複合したものと言われます。

したがって歯科治療に恐怖感を持っている場合、それだけで、同じ刺激に対して強く痛みを感じることになります。人間の身体にはいくつかの痛みを和らげるシステム(疼痛抑制系)がもともとありますが、強い恐怖感などの様々な要因により、それらの疼痛抑制システムがうまく働かなくなることがあります。

例えば慢性的な強い痛みに悩まされる線維筋痛症という病気がありますが、その原因の一つとしてこれらの疼痛抑制システムの機能不全が疑われています。

心の状態や、歯科医療に対する信頼感の有無、生まれつきの痛みを感じるシステムの特性などにより、疼痛閾値(痛みを感じる刺激の強さの境界)は大きく変化します。

「歯科治療が怖い」という100人に何が恐いのか聞いてみると一番嫌な歯科治療は歯を削られることだそうです。

《「歯科治療が怖い」初診の患者さんに聞いた「怖い歯科治療ランキング」(複数回答可)》

1. 歯を器械でガリガリ削られる。41人
2. 歯を抜かれる。       32人
3. 注射をされる。       24人
4. 治療の際の不意な痛み。   17人
5. その他(治療費、説明のない治療、レントゲン、印象(型をとる)、先生や助手が怖いなど) 9名
 
1. 振動への対策:

当院を訪れたまったくの初診の患者さんのうち、初診時の問診で「歯科治療が怖い」か「少し怖い」と応えた人を対象に調査しました。タービン等で削られるときの振動や音がかなり恐怖感と嫌悪感を与えていることが分ります。

現在、発売されている低振動型タービンは切削時の不快感がかなり改善されていますので、このような新しい器機を採用するか、もともと振動の少ないマイクロモーターで削るか、あるいはネオジウムヤグレーザーのような高熱でむし歯にかかった歯質を蒸散させる方法をとるかが対策としてとられています。

他には「エアアブレーシブシステム」という、アルミニウムの微粉末を勢い良く吹きつけてむし歯を研磨して除く器機があり、これはかなり精密にむし歯の部分だけを除去することができ、けっこう実用性があります。ただし支台形成のような、冠をかぶせるために歯を立体的に切削・形成することはできません。

また最近、発売された「カリソルブ」という特殊な薬剤でむし歯を溶かして除去する方法もありますが、適応症が限定され深いむし歯に使えないことと保険診療で行なえないのがネックになっています。

発想の転換として、むし歯の深部を削らずにオゾンで殺菌し、そのまま充填してしまう方法もあります。これは「ヒールオゾン治療」という名前の器機で、むし歯に高濃度のオゾンを噴射することにより、殺菌し、歯の再石灰化を図る方法です。これも適応症は限られていますが、象牙質にわずかに達したような大きさのむし歯に対しては充分に実用性があります。

最近は、ミニマルインターベンションと言って最小限の切削量で治療を行うという考え方が普及してきました。これもある意味で恐怖感を抱える患者さんへの有効な解答になります。

振動対策としては昔からある方法ですが、ヘッドフォンやヘッドアップディスプレーを用い、好きな音楽や映画を見ながら治療を受けることにより、振動感覚をマスキングする方法があります。

これに似た方法で、「エイクレス」という器機は、60kHzの超音波振動を加えることにより切削時の振動や痛みを感じにくくします。これは痛みのゲートコントロールセオリーを利用する考え方で、太い神経を伝わる触覚や圧覚、振動感覚があると、脊髄において細い神経線維を伝わる痛覚の中枢への伝播が抑制される性質を利用しています。

(似たような商品で「バイブラジェクト」という商品名の注射器につけるバイブレーターも売られています。これは注射時の痛みを軽くする方法ですが、効果は100%ではありません。)

2.抜歯と痛みへの対策

次に「抜歯と痛み」ですが、大きく分けて@できるだけ歯を抜かないようにするか、A患者さんに痛みや苦痛を与えずに抜歯するかの二つの対応があります。

@ できるだけ抜歯を避ける。: 現代の歯科医師を始めとする医療関係者はできるだけ抜歯を避けようと努力しています。以前なら保存できないと判断された重症の歯周病や進んだむし歯でも、できるだけのことをして残そうとしています。
    
   しかし総合的、戦略的に考えて、その歯を残すことによって、中期的な視点にたった患者さんの健康にとって有害な場合には抜歯を勧めます。

例えば、歯並びを治すために智歯や小臼歯を抜歯して矯正治療を行う場合などがあります。

成人矯正を行なう場合、小さな顎骨のために、全部の歯が並ぶ場所が不足し、歯が重なっているか、歯列がゆがんでいる場合、もし智歯か小臼歯を抜歯しないで矯正治療を行えば、ひどい上下顎前突になってしまい、歯を並べることは可能でも、チンパンジーのような前突感のある口元になり、患者さんは決して満足しません。

感染が根の先まで進んだ重症の歯周病の歯を残して、それ以上の骨の破壊と病巣感染の原因になるリスクを避けるために抜歯する場合もあります。

現在は、あまりに進行しきった歯周病にかかった歯を残すよりも、歯槽骨が保たれているうちに戦略的に抜歯して、早期にインプラントで補い、顎骨に咬合力を加えることにより、顎骨の老化を防ぐ考え方が普及し始めています。

 いずれにしても再植術や矯正、徹底した歯周病治療、最小限の医学的侵襲の選択などにより以前に比べ、抜歯の本数は著しく減っています。

A 抜歯における痛みのコントロール: 歯科治療における痛みと恐怖のコントロールは歯科治療の歴史における永年のテーマになっています。

様々の先人の工夫により、最近では痛みをがまんさせて治療を続ける風景はほぼ見られなくなっています。

ただし恐怖感の完全な克服はむつかしく、特に小児の外国人など、日本語によるコミュニケーションがむつかしい患者さんに対し、非言語的なコミュニケーション手段(ノンバーバルコミュニケーション)だけで恐怖感のコントロールを行なうことは、よほどの技がないと困難です。

徐痛と恐怖のコントロールは本来、一体となって考えられるべきで、例えば歯科恐怖症の患者さんの全症例を全身麻酔で行なうべきかというと、もちろんそれは誤った考え方です。

歯科恐怖症の患者さんの場合、恐怖症と言う病自体を治療する必要があり、通常の歯科治療が受けられるように心のリハビリテーションをまず心掛けるべきでしょう。

恐怖症とまではいかなくても、強い歯科治療への恐怖感、拒否感、不信感を持っている患者さんは、普通に歯科医院を訪れます。

そのような患者さんには、まず本当の主訴が何であるかよく伺った上で、治療の必要性を理解し、嫌々ながらも治療を受けたいと思うまでは手を下さない配慮が大切です。あくまで治療を受けるかどうかの決定権と選択の責任は患者さん自信にあることを良く理解していただいた上で、必要な医学的情報を提供するようにしています。

成人の場合、患者さんが治療に対して主体性を持てるかどうかが、疼痛と恐怖感をコントロールできる鍵になるものと理解しています。

診療側と患者さんの双方が納得できる治療の目標が決まったら、次の予約日に行なう治療内容、その日に行なう治療内容、次の瞬間に行なう治療内容について細分化し、その都度説明しながら治療を行い、約束から逸脱する治療は行いません。

治療に伴う不快感や、偶発事項については必ず説明します。

具体的な疼痛管理に関しては、パッチタイプや流し込みタイプの即効性の表面麻酔剤、無針注射器による準備麻酔、31ゲージの細い麻酔針、麻酔時の手技、ゲートコントロールセオリーを利用した麻酔、コンピューター制御の電動麻酔器、東洋医学的鎮静法、静脈鎮静法、笑気吸入鎮静法、レーザー麻酔、骨内麻酔器、電気麻酔器などを組み合わせて行ないます。

加えて痛みのある処置は無理して行なわない、患者さんが痛みの意思表示をする前に、筋肉の緊張感を察知して処置を中止する、恐怖感の強さに応じて処置内容を変更する、徐痛できない場合は一呼吸置くか、次回のアポイントメントに延期するなどの工夫を行ないます。

ただしあまり痛くなく快適な環境で治療を行おうとすると、患者さんが治療中に寝てしまうために、開口状態が保てなくなり、治療がやりにくくなります。そんなときは、男性なら特別美人の衛生士さんが、女性なら若いイケメンの歯科医師が担当し、どきどきさせながら治療を進めるというのも一つの方法です。

まあ冗談はさておき、以上述べた対策は歯科医師が患者さんの場合は、有効ではありません。彼等は普段相手の人柄をよく知っているため、必要のない最悪の想像をする習癖があり、脂汗を流しながら手を握り締めてふるえている同僚がよくいます。

まあこちらが治療していただく場合も同様ですのでお互い様ですが。