タイトルイメージ66 「8020運動 残存歯数実態調査」エビデンスとポリティカルパワー
本文へジャンプ 5月2日 
 
 金峰山 五丈岩


「十分なエビデンス(evidence)がありますか?」

医学の世界では、新しい治療法や仮説が発表されると、すぐにこう聞かれます。
エビデンスとは証拠のことなので、これは「あなたの言っていることに、科学的な裏づけはあるの?ただの思いつきか妄想じゃないの?」と聞いているわけです。

エビデンスにも確かなものとそうでないものがあり、以下のような分類がされています。

○ エビデンスの水準

@ 最も信頼できるエビデンス: 複数のランダム化比較試験のメタ分析の結果、得られた知識。
A 次に信頼できるエビデンス: 少なくともひとつのランダム化比較試験の結果、得られた知識。
B 3番目に信頼できるエビデンス:少なくともひとつのよくデザインされた準実験的研究の結果、得られた知識。
C 4番目に信頼できるエビデンス:比較研究や相関研究、症例対象研究などよくデザインされた準実験的研究の結果、得られた知識。
D 最も信頼度が低いエビデンス:専門家委員会の報告や意見、あるいは権威者の臨床経験に基づく知識。

最後のDの例ですが、「骨太の方針」を編み出した経済財政諮問委員会などのレポートなどがこれに該当します。もっとも政治が生み出される子宮は情念と怨念であり、科学とは程遠い非合理的な所産ですが。

 ランダム化比較試験では、実験群を2つに分け、一方の群に介入をし(例えば新薬を投与し)、残りの群は介入しないコントロール群(対照群として偽薬を投与する)として扱います。ただし、被験者がどちらの群に属するかは実験を行なう当事者にも分らなくします。あらかじめ評価項目を決めておいて比較します。

 メタ分析、メタアナリシス(Meta-analysis)とは、すでになされた複数の研究結果を系統的に比較、分析、要約する手法を指します。

科学的な根拠(エビデンス)に基づいて、治療法や予防法を決定、実践していく医療のことをEBM(根拠に基づく医療; Evidence Based Medicine)と呼びますが、EBMを行なうことにより、慣習や思い込みによって行なってきた医療の無駄や危険性を排除することができます。

さらにEBMから派生する考え方として、EBHC(根拠に基づく保健医療; Evidence Based Health Care)があり、これは『Evidence-Based Medicineの原理の適応を行政や経済をも含む保健医療(ヘルスケア)のすべての専門分野へ拡大したもの。EBMが個人を対象にするのに対して、EBHCは集団を対象とする。』という意味になります。(「EBM(Evidence Based Medicine) EBN(Evidence Based Nursing) 日赤豊田看護大学・日本赤十字愛知短期大学 水野智氏のホームページより引用。⇒http://www.miz-ngy.umin.ne.jp/material_h16/information_process/04_09_30c/index.htm」

またEBMに基づいた健康政策を立案・実践することをEBHP(根拠に基づく健康政策; Evidence Based Health Policy)と呼び、医療経済学の立場からも、EBHPを行なうことは基本条件になっています。

 日本では、「タバコは健康に悪い」というEBMは無視され、タバコ政策の所管官庁は厚労省ではなく、財務省が行なっています。そのため、タバコ政策の決定は医療の立場ではなく財政の立場から行なわれるため、厚労省が独自の禁煙目標を掲げることもできません。これは我国においてはEBHPが行なわれていないことを意味しています。

 長野県歯科医師会は本年度から、歯周病の重症度と残存歯数が歯科以外の全身に及ぼす影響、相互関係について調査を始めることになりました。

 香ばしい焼きたてのフランスパン、お好みのげんこつ煎餅、ほどよく漬かった沢庵、歯ごたえのある酢ダコやスルメイカなどをおいしくいただくには少なくとも18本、理想的には20本以上の残存歯が必要とされています。

また食事がおいしいと感じる人は20本以上の歯が残っているという調査もあります。

成人が歯を失う最大の原因は歯周病であることはよく知られていますが、昨今歯周病が全身に及ぼす影響についても注目されるようになってきました。

8020推進財団の発行するパンフレット「からだの健康は歯と歯ぐきから」によれば、歯周病が関係する全身の病気として次のようなものが挙げられています。

1. 狭心症・心筋梗塞:心臓の筋肉に栄養を送る冠動脈に動脈硬化が起こり、血管が狭くなると狭心症が、血管が詰まると心筋梗塞が起こります。歯周病菌は冠動脈の動脈硬化を促進するのではと疑われています。

2. 心内膜炎:歯周病が悪化して歯周病菌が血液中に流れ込み、心臓の内膜に歯周病菌が付着すると心内膜炎という死の危険性もある心臓病を引き起こすことがあります。

3. 糖尿病:歯周病は、網膜症、腎症、神経障害、心筋梗塞、脳梗塞に次いで、糖尿病の第6番目の合併症と言われ、糖尿病が歯周病を悪化させることがよく知られています。最近では、歯周病が重症化すると、炎症により出てくる物質TNF-α(炎症性サイトカインの一種)がインスリンの血糖値をコントロールする働きを妨げて、糖尿病を悪化させるといわれるようになりました。

4. 胎児の低体重・早産:妊婦が歯周病になると、歯周病の炎症により出てくるプロスタグランディン(PGE2:子宮の収縮などに関わる生理活性物質)などの物質が、胎盤に影響を与えるためと考えられています。

5. バージャー病:Leo Buergerによって初めて報告された閉塞性血栓血管炎。手足に十分な血液が供給されないために、悪化すると皮膚の潰瘍や壊疽が起こり、指や手足を切断する結果になります。喫煙が影響しますが、歯周病による動脈硬化の進行も影響すると考えられます。

6. 認知症:認知症とは物忘れから始まり、日付や物の名前や時間が覚えられなくなり、さっき食べたばかりの食事も思い出せなくなります。妄想が現れ、失禁や徘徊など日常生活への重大な障害が現れる病気です。
認知症には脳血管性認知症とアルツハイマー型認知症の2種類がありますが、脳血管性認知症は動脈硬化の進行により起こりますので、歯周病を治療・予防することにより、動脈硬化の進行を抑制することができれば、脳血管性認知症のリスクを減らすことができます。
またアルツハイマー型認知症においても、残存歯数の少ない人ほど、脳の萎縮が進んでいることがCT撮影により分かってきました。噛むことが脳を活性化すると言われ、噛む刺激が歯根膜の感覚受容器をつうじて脳に伝わり、神経伝達物質であるアセチルコリンの分泌が増えます。アセチルコリンの量が減るとアルツハイマー型認知症が引き起こされると言われていますので、歯周病を予防し、歯を失わないことが認知症の予防にも良い影響を与えます。

7. 動脈硬化:歯周病菌が動脈硬化を起している血管に付着すると、血管を狭める作用を促進すると考えられています。動脈硬化を起している血管の壁から歯周病菌が発見されるという報告があります。

8. がん:歯周病菌により慢性炎症が起こることにより、正常細胞に異常をきたし発ガンにつながると言われています。

9. 肺炎:高齢者の最大の死因は肺炎ですが、これは寝たきりなどになって、飲み込む力が衰えたときに口の中の細菌が肺に誤嚥されて引き起こされます。徹底的な口腔ケアを行なうことにより、誤嚥性肺炎の発生率を下げることができます。

10. 肥満:規則正しい食事、間食を減らしてよく噛んで食べると、肥満防止につながります。しっかりと噛むと唾液が十分に出て、お口の中をきれいにするばかりでなく、満腹感が得られるために食事の量が少なくてすみます。
 これは脳内の神経ヒスタミンという物質が食欲を抑え、エネルギー消費を促進させるのですが、よく噛むことが神経ヒスタミンを活性化するからです。

11. 骨粗鬆症:骨粗鬆症の人が歯周病になると歯槽骨が急速に失われるばかりでなく、歯周病の進行により歯を失い咀嚼能力が低下すると、必要なミネラルや蛋白質の摂取が傷害され、骨粗鬆症が進行します。

12. 活性酸素:活性酸素とは他の物質を酸化しやすい状態の酸素ですが、癌や糖尿病、しみやしわなど、身体に色々なダメージを与えるとされています。歯周病がひどくなると活性酸素が増えすぎて身体全体に悪影響を及ぼします。

長野県歯科医師会では、以上のような歯周病と全身疾患の関係を臨床の立場から研究し、その結果得られたエビデンスを臨床へ活用するとともに、国の医療行政に反映させる目的で、全会員の協力を得て本年5月より独自調査を行ないます。

従来、臨床は患者さんを治すだけで、現場の医療行政への提言は無視されるか、軽く扱われ続けてきました。

今回、臨床の現場から新たなEBMを採取することにより、国に国民の健康に直結する科学的な医療政策、つまりEBHP(根拠に基づく健康政策)の実践を強く促す目的で大規模臨床研究を行なうわけです。

県民の皆様の健康維持の一助になる具体的な成果を得ることを強く期待しています。

参考文献:「からだの健康は歯と歯ぐきから」8020推進財団