№126「生きながら身を焼かれ」局所麻酔が効かない場合
本文へジャンプ 11月25日 
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    №126「生きながら身を焼かれ」局所麻酔が効かない場合




過日判決があったある医療事故ですが、局所麻酔が効いていないことに気づかないままに、腹膜炎の手術を進められ、この世の地獄を味わった患者の訴えが認められ、病院に1900万円の賠償が言い渡されました。

愛媛新聞からの引用ですが、<判決などによると、男性は2002年2月、同病院で大腸ポリープの切除とヘルニアを手術。しかし、不適切な投薬により穿孔(せんこう)性腹膜炎を発症したため、再手術を行った。この際、麻酔が効いていないことを「痛い、痛い」と再三訴えたにもかかわらず、医師側は「全身麻酔の副作用の危険を避けるために局所麻酔を選択したと男性の訴えを聞かずに手術を続行したという。

 高橋正裁判長は、不適切投薬の過失と男性が術後にヘルニアを再発したことについて、「麻酔が効いていない状態での手術により、男性の腹圧が高まったのが原因」と因果関係を認めた。」> とあります。

 生きながら、解剖される恐怖と苦しみは想像を絶するものだったと思われますが、歯科治療においても、局所麻酔や鎮痛剤の効きにくい患者さんは確かに存在します。

多くの成書は、局所麻酔(⇒注1)の効きにくくなる主な理由を次の4つに求めています。

1. 下顎大臼歯部など骨皮質が厚く、骨の中の神経まで麻酔薬が届きにくい場合。
2. 強い急性炎症または局所の慢性炎症があるため、麻酔薬が奏功しにくい場合。
3. 強い恐怖感や不安、情緒不安定、睡眠不足などに痛みが修飾されているため、実際の感覚的な痛みより強く感じている場合。
4. 注射する部位や回数など手技の問題。




1. は麻酔薬が神経まで届かないために効きません。伝達麻酔という方法で、神経の上流側で麻酔することにより麻酔効果を得やすくなります。
骨の表面が硬く厚い部位にそのまま注射しても効かないために、最近は針先がドリルのように回転し皮質骨を穿孔して直接内部の柔らかな部分(海面骨)に麻酔する器具もあります。
通常は歯根膜麻酔など歯と骨の間の隙間に麻酔する方法などが用いられます。
一般には下顎の臼歯部以外は麻酔が効きやすいとされていますが、上顎第一大臼歯と第二大臼歯の頬側も頬骨下稜があるために歯槽骨に厚みがあり、根尖まで距離があるために、やや奏功しにくい部位だと言えます。

2. は炎症のあるところは強い酸性のため、酸性の麻酔薬が分解しないため麻酔効果が発揮できません。一度、歯髄鎮静療法などや切開・排膿、鎮痛消炎剤や抗生物質などで、炎症状態を改善してから後日再挑戦するか、伝達麻酔やその他の炎症局所を避けた麻酔法を選びます。
また歯根肉芽腫掻爬時に肉芽腫の部分だけ麻酔が効きにくいことがあります。

3. は痛みは感覚的な痛みと心理的な痛みが合算されたものが脳で知覚される「痛み」であるため、恐怖感や不安が強いと実際の感覚的な痛みが何倍にも修飾されてしまうためです。笑気吸入鎮静法やツボ刺激、電気パルス療法、優しい術者の態度・雰囲気、歯科恐怖症治療などにより対処します。

4. は最初の麻酔注射で徐々にしっかりと時間をかけて麻酔することが大切です。また痛みのある麻酔操作を避け、患者さんが痛みに対して敏感にならないように注意する必要があります。
特に、麻酔効果が表れる前に処置を開始してしまい一度痛みを与えてしまうと、疼痛閾値(痛みを感じる最小刺激値)が下がるために、なかなか麻酔効果が得られなくなります。

麻酔操作が早すぎれば局所麻酔薬が周囲組織に逃げてしまい、目的とする骨内の神経に届きません。また粘膜の薄い部位では刺入点が多すぎると、他の刺入点から麻酔薬が漏れてしまいます。

麻酔が効かないと思われたときは、まずそのまま強引に処置を進めることなく、一拍か二拍、立ち止まって患者さんを気遣い、冷静に麻酔の奏功しない原因を分析することが臨床上のコツになります。



しかしこの他にも、以下の原因で局所麻酔や鎮痛剤が効きにくい場合があります。

5. 痛みの原因となっている部位が違う場合 収束と関連痛
6. 末梢の感作(過敏化)peripheral sensitization
7. 中枢の感作(過敏化)central sensitization
8. 局所麻酔薬の劣化


5. 患者さんが訴える痛みの部位と実際に痛みの原因となっている部位が異なることはよくあります。したがって痛みの原因でない場所に麻酔の注射をしても効果は表れません。

これは脳が痛みの部位を混同するために起る現象です(=関連痛)

例えば患者さんは上顎の奥歯に痛みを訴えるのに、よく調べると下顎の奥歯に原因のむし歯があり、下顎の奥歯に麻酔すれば上顎の痛みがなくなる場合があります。深いむし歯による歯髄炎の痛みが耳・こめかみ・頬などの痛みとして知覚されることもありますし、歯が痛いと肩がこる、あるいは肩がこると歯が痛く感じることもあります。

似たような現象は、心筋梗塞による胸の中央・左胸部・左肩・首・下顎・みぞおちなどの痛み、狭心症による胸壁や左腕の痛み、冷たいアイスクリームナで喉が刺激されたときに感じるコメカミの痛み(アイスクリーム頭痛)、胃潰瘍による上腹部の痛み、左背部の痛み(内臓痛:心窩部痛)などがよく知られています。」

感覚神経のセンサーから入った痛み信号は一次求心線維を伝わり、脊髄後角に入り、そこでシナプスを乗り換えて二次求心線維を伝わり、脳のゲートキーパーである視床へ伝わり、そこから大脳皮質へ伝播して「痛み」として認識されています。

このとき複数の一次ニューロンがひとつの二次ニューロンに接続されるために、脳はどの一次ニューロンからきた刺激か区別がむつかしくなります。これを「収束convergence」と呼びますが、例えば顎関節と咬筋の一次ニューロンは80%が同じ二次ニューロンに収束しているため、咬筋の痛みを顎関節の痛みと混同することがあります。

このように、収束により疼痛発生源(source of pain)とは別の場所(疼痛感受部位site of pain)に生ずる痛みを関連痛(かんれんつう、Referred Pain)と呼びます。
(参照:「OFPを知る 痛みの患者で困ったときに」井川雅子・今井昇・山田和夫著 クインテッセンス出版株式会社)


6.末梢の感作(過敏化)peripheral sensitization 

過敏化(sensitizationセンシタイゼーション)は感作とも呼ばれていますが、痛みの刺激が持続して加えられた場合に、痛みを感じやすくなる、つまり疼痛閾値が低下する現象を指します。

過敏化には末端の痛みセンサー(侵害受容器)が興奮しやすくなる末梢性過敏化と、中枢の過敏化(主に脊髄後角の過敏化)とがあります。

末梢の感作は、例えば怪我や火傷をした箇所を軽く触れただけで、ひどく痛む現象を指します。

歯肉や骨、歯髄などの組織が壊れると、炎症が起こります。炎症とは生体が有害な刺激を受けたときに起る免疫反応の総称で、発赤、熱感、腫脹、疼痛、機能障害の5つの徴候が現れます。

このとき、組織の損傷で炎症が生じる過程で合成されるブラジキニンやプロスタグランディンなどの発痛物質が、侵害受容器の脱分極の閾値を下げる現象が起きます。

また、侵害受容器からの信号は一次求心性ニューロンであるC線維を通り脊髄の末端である脊髄後角に伝わり、二次求心性ニューロンに伝わり、大脳へ向かうだけでなく、同時にあらゆる方向に伝わるために、脊髄後角で軸索反射という現象が起こり、そこで枝分かれしている別のC線維にも逆行性に伝わります。

軸索反射により、痛み信号が反射した別の神経終末から神経ペプチド(アミノ酸の繰り返し結合物)の一種であるP物質(substans PサブスタンスP)やカルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)など、タキキニン類と呼ばれる物質が遊離します。

CGRPは周囲の血管を拡張し、サブスタンスPは血管壁の透過性を亢進させ、発赤や腫れなどの神経性炎症を起こします。

軸索反射が歯髄に起ると知覚過敏の状態になり、さらに硬い象牙質に閉じ込められている歯髄腔内部の圧力が上がり、歯髄充血を起こし、毛細血管の循環不全が進むと歯髄の循環不全が起こります。
その結果、血栓が生じ、歯髄は壊死するか細菌感染を伴えば壊疽状態になり、激しい痛みがでます。

このように、最初に炎症を起こした周囲に炎症が広がり、さらに痛みを感じやすくなる現象を末梢性の過敏化と呼び、末梢性の過敏化が起ると、局所麻酔の効果は著しく低下します。

したがってむし歯の痛みをがまんして、痛みが強くなってから歯科医院を来院しても、なかなか局所麻酔が効かなくなりがちです。

その結果、歯科治療への恐怖が募り、歯科医院への足が遠のいているうちに多発性カリエスや重症歯周病など、簡単には治せない複雑で重篤な疾患に陥ります。

このような状態になると、通常の歯科治療の前にまず行動療法的な手段で、歯科恐怖症の治療を行う必要が生まれ、患者さん本人も医療機関も多大な負担を強いられることになります。

末梢性過敏化が起っている場合はまず鎮痛剤を飲んでもらい、局所を冷やしてしばらく落ちついてから、笑気吸入鎮静法や静脈鎮静法、電気麻酔器、ハリ麻酔など他の麻酔法を併用して局所麻酔を行なうことになります。

しかし妊婦や小児、高齢者ではこの対応も限られますので、あまり痛みをがまんしないのが一番の予防策になります。



7.中枢の感作(過敏化)central sensitization

さらに痛みを長引かせると、末梢からの持続的な痛み刺激の増大に応じて、脊髄後角ニューロンが痛み刺激に対して過敏化し、より敏感に痛みを感じるようになります。

末梢から繰り返し、持続的に侵害刺激が入力されると、脊髄後角細胞(三叉神経では三叉神経脊髄路核尾側亜核)の反応性が増大し(wind up現象、ワインドアップ様疼痛)、二次侵害受容ニューロンの過敏化が生じます。

また刺激後も脊髄後角細胞が長時間興奮し続けるようになり、末梢からの刺激に対し、きわめて過敏な状態(アロディニアallodynia)になることがあります。

アロディニアはまさに風が吹いても痛いといった状態で、患者さんの生活の質は大きく損なわれます。治療はペインクリニックなど専門医の治療が必要になり、難治性の痛みに患者さんも医師も苦労することになります。

8.局所麻酔薬の劣化: 常温環境や日光に曝される環境下で急速に劣化するので、要冷蔵を守らなければなりません。疼痛緩和のために暖めた麻酔薬はその日のうちに使いきるようにする必要があります。


局所麻酔が効かないといった場合、患者さんにとってはもちろん大きな恐怖ですが、歯科医にとっても大変なストレスです。

自分の手技に誤りがないか、目の前の患者さんの痛みをどうやって鎮めるべきか、激痛を訴える患者さんほど、麻酔が効きにくいことが多く、特に深夜に急患で飛び込んでくる患者さんで麻酔が効かない場合、本当に大変な思いをします。

例えば腕など火傷した場合を考えれば分ると思いますが、軽い火傷だったら冷やして、なるべく感染しないようにカバーしておけば短時間で痛みはなくなると思いますが、広範囲の深い火傷だったら、少しくらい局所麻酔したとしても、痛みが治まるわけがありません。

お口の疾患も同じことで、こじらせてしまうと麻酔や鎮痛剤が効きにくくなります。
なるべく初期のうちに治療をする必要性があるのは、癌だけでなく歯科疾患でも同じです。

痛い思いを避けるために、歯科医の心臓を守るためにもむし歯は気づいたらすぐに治しましょう。



○ 注1:局所麻酔薬の仕組み

局所麻酔薬は、癲癇(てんかん)の薬や抗痙攣(けいれん)剤と同様のメカニズムを持つ、ナトリウムチャンネル遮断薬と呼ばれる種類のお薬です。

痛みは痛みを感じるセンサーが拾った刺激を電気信号として神経が伝え、大脳皮質で感じているわけですが、局所麻酔薬は痛みの電気信号が神経を伝わらなくする働きを持っています。

深いむし歯を削られる振動や熱などの侵害刺激が歯髄のセンサー(感覚神経終末)を刺激すると、その刺激は電気的なパルス(インパルス)となって神経を伝わります。

このインパルスは、神経細胞の外側から細胞内へナトリウムイオンがナトリウムチャンネルと呼ばれる通路を通って瞬間的に流れ込むことにより生じますが、局所麻酔薬はこのナトリウムチャンネルを遮断してしまい、結果として脳に痛みの信号が伝わらなくなります。

一説に、局所麻酔薬と同じメカニズムを持つナトリウムチャンネル遮断薬を常用している患者さんでは、肝臓の薬物を分解・解毒するシステムが亢進しているために、麻酔が効きにくいという話がありますが、まだ経験したことはありません。

また昔から習慣的な大量飲酒者では麻酔が効きにくいと言われています。事実、プロポフォール、チオペンタール、ペントバルビタール、ジアゼパム等の静脈麻酔薬は習慣的な飲酒家では麻酔効果が得にくいことが知られています。

局所麻酔薬のリドカインでも慢性飲酒習慣による麻酔効果減弱が起きる場合がありますが、必ず全例で局所麻酔奏功不全を起すわけではありません。

慢性的な飲酒により細胞膜の流動性を阻害する物質が体内に蓄積され、局所麻酔薬の細胞質流動化を妨げ、麻酔が効かなくなる可能性があるのではと言われています。

岐歯学誌34巻1号2007年6月 「局所麻酔薬の膜流動化作用とアセトアルデヒド―インドールアミン縮合物との相互作用」林 英明 によれば、

「非イオン型(遊離塩基)の局所麻酔薬が神経細胞膜脂質二重層の深部に浸透・分布し、膜内部の疎水性領域を主に流動化することによってNa+チャネルを遮断する…」

「飲酒にともない増加する生体内のMTBC(=アルカロイドの一種、1-methyl-1,2,3,4-tetrahydro-β-carboline)が膜流動性に関して局所麻酔薬と相互作用することにより麻酔効果を減弱し、慢性的飲酒でも酵素誘導によってMTBC の水酸化代謝が促進すれば相互作用が起こらず局所麻酔効果は影響されないと考えられる。」

つまりお酒を良く飲む人の一部では静脈麻酔だけでなく、局所麻酔も効かなくなるメカニズムがあると言っています。(http://scw.asahi-u.ac.jp/~gifusika/zassi34-1/07hayashi.pdf)


※ 蛇足ですが、歯科臨床でも割合よく繁用される消炎鎮痛剤にアセトアミノフェンがありますが、一般的なイメージは安全だがあまり効かない痛み止めというものです。

ところが中には、アセトアミノフェンを服用するときの注意が守られていないために、薬効がないのではと思われるケースに遭遇することがあります。

アセトアミノフェンを飲むときは、缶コーヒーやのど飴、クッキーなどの甘いものは避けなければなりません。アセトアミノフェンが糖分と結合し、薬の吸収が遅くなるため、適正な薬効が得られないことがあります。

また喫煙者ではタバコの成分が肝臓における解毒酵素(UDP-グルクロノシルトランスフェラーゼ)を誘導し、アセトアミノフェンの分解を早めるために作用時間が短くなりがちです。

逆にお酒を飲むと作用が増強しますが、肝障害も起しやすくなります。