№125「患者の権利と医療」
本文へジャンプ 11月15日 
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      №125「患者の権利と医療」



現代において、ある意味、医療は社会の需要に応じて供給される医療という名前のサービス産業として捉えることができます。

時代や社会の状況により、求められる医療の質や内容及び声明に対する倫理基準、つまりバイオエシックス(bioethics)も変わってきました。

古代の専制国家において皇帝に仕える侍医(じい)に求められる医療は、皇帝の権威と野望に仕える医療であり、場合によれば不老不死などの不可能な勅命を賜る(たまわる)ことさえありました。

また戦時下における医療に求められるものは平時とは異なり、兵士の戦闘力の回復や銃後の生産・補給体制を維持することが求められてきました。

今から2000年以上前にギリシャの哲学者であるヒポクラテスが残したとされる「ヒポクラテスの誓い」は今もその価値を失いませんが、それに対する評価は大きく変わってきています。

もともとの「ヒポクラテスの誓い(The Oath of Hippocrates)」は次のようなものです。(参照:ウィキペディア)

<医の神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。

この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
依頼されても人を殺す薬を与えない。
同様に婦人を流産させる道具を与えない。
生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
膀胱結石に截石術を施行はせず、それを生業とする者に委せる。
どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。
この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう!
しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。>

「誓い」を現代的に解釈すれば、

1. 医学を教えてくれた師への尊敬の念を失わず、経済的に報いる。
2. 医学を志す者に対して教育支援を惜しまないが、それ以外の市民に医術を漏らさない。
3. 専門家としての知識と経験に基づいた治療以外を行わない。
4. 例え、本人に望まれても患者さんの死期を早める薬を与えないし、流産させる薬や治療も行わない。
5. つねに専門職としての良心に従って生き、医術を行なう。
6. 腎臓結石や胆石の除去は外科医にまかせる。(言い換えれば自分の得意でない領域はスペシャリストに紹介する。)
7. どんな職業の患者さんを往診しても、医療以外のことを行なわず、患者さんを自らの利益のために利用しない。
8. 男女、人種、貧富を問わず、すべての患者さんを平等に診断・治療する。
9. 患者さんの秘密を絶対に守る。

のようになると思います。

これはいわば、医師というプロフェッション)の職業倫理綱領ですが、現代のバイオエシックスの観点から考えると、「知識の非公開性」、「医師集団の徒弟制度を前提にした閉鎖性」、「専門家の優位」の点で個人の自己決定権が重視される現代の医療にそぐわない面があるとする見方もあります。
しかし医療に対する真摯な姿勢についての価値自体は時代が変わっても、その輝きを失っていないと考えます。



西側先進国で君主制から民主主義に移行し、識字率の向上、高等教育の普及、公民権運動や男女平等法など、人権や個人の自己決定権が重視されるようになるにつれて、医療の受益者側からの意見として、専門家としての判断に無条件に従えばよいというパターナリズムを批判する声が出るようになりました。

病気に苦しむのはあくまで患者さんであり、治療を受け、その成否にかかわらず、結果を受け入れる主体も患者さんであるのに、自分の身体の情報を専門家が独占し、命にもかかわるかもしれない治療法の決定も唯々諾々と専門家の意見に従うだけという姿が、今までのパターナリズムに基づいた医療でした。

時代の変革の中で、患者さんは病気と闘い、あるいは共存する主体者としての権利を持つとともに、またその時代の医療の中で最良の結果を得るために、患者としての義務も持つとされるようになりました。

1981年に世界医師会総会で採択されたリスボン宣言では主な患者の権利を次のように規定しています。

1.良質の医療を受ける権利
2.選択の自由
3.自己決定権
4.意識喪失患者の代理人の権利
5.法的無能力者の代理人の権利
6.情報に関する権利
7.秘密保持に関する権利
8.健康教育を受ける権利
9.尊厳性への権利
10.宗教的支援を受ける権利

これらの権利を完全に保障するためには、十分なインフォームド・コンセント(informed consent)の実施が必須条件になります。日本語では「説明と同意」と訳されていますが、インフォームド・コンセントを単に、機械的に説明し同意書にサインしていただく、医療訴訟を防ぐ防衛手段として考えるだけでは充分ではないと思われます。

あるべき医療の前提条件として、あらゆる医療行為においてインフォームド・コンセントを得る責任が医師・歯科医師など医療従事者にあるという考え方は、現在、診療所や病院に定着していると言えます。

ただし、実際にインフォームド・コンセントを完全に実施するためには、医療の専門家と一般市民の間の医学や医療に関する知識の情報格差、患者さんの十分な理解力、十分な実施時間と裏付ける医療財源、その手法などいくつかの障壁が存在します。

また未成年患者や少数言語を使う民族、認知症など意思疎通ができない人、精神障害者、救急患者、末期のがん患者さんなどでインフォームド・コンセントの実施が困難な場合もあります。

例えば宗教上の理由から輸血を拒否する人たちに対して、救命するために輸血した医師に対して損害賠償が認められています。
しかし明らかに生命を損なうと分っている地要方針を患者さんが選ぶ場合、そのまま認めることが倫理的に正しいのかどうか、医療者として判断に苦しむ場面にぶつかる場合があります。

目の前で死に瀕している患者さんの命がみすみす失われていく姿を傍観しなければならないとしたら、例え最高裁の判断に沿うものだとしても、医療者の本能に著しく背く行為だと言わざるを得ません。

将来的には、経験を積んだ病院内ボランティアのような人々の中から、医療者と患者さんの仲立ちをする専門のアドバイザーを育成する必要が生まれるものと思われます。

リタイアした医師や経験豊富な看護職、医療訴訟を専門とする弁護士などの中から、患者さんに分りやすく専門用語や基礎的な医学を解説し、医師の提示した治療方針について一緒に考える人材、つまり「インフォームド・ヘルパー」が供給されるのが望ましいのではないでしょうか?

必要性があれば、通訳者の準備や代替の治療法の検索・紹介や患者さんの利益のために他の医療機関の紹介も行い、また逆に患者さんの本当の気持ちや不安、希望を医師に伝えることができる国家資格が準備されるべきで、現代医療のあらゆる場面に精通した正規のカウンセリング能力を有する専門職として活躍する場が広がればと考えます。正当な報酬も用意される代わりにもちろん厳しい守秘義務と公正性、中立性が課せられる必要があります。


○ 歯科医療における「患者の権利」



歯科医療においても「患者の権利」を確立する中心は、インフォームド・コンセントにあることは医科と変わりません。
また現代の歯科医療において「説明と同意」なしには医療が成立しない時代になっています。

歯周病やむし歯の治療、咬み合わせの治療、咀嚼機能不全、顎関節症の治療、歯並びの治療、知覚過敏症の治療、口臭の治療、口内炎の治療、口腔がんの治療、ブリッジや義歯による治療、インプラントによる治療、歯肉や歯の変色、ホワイトニング、審美歯科、交通外傷や顎顔面骨折、歯の脱臼や破折、味覚異常、舌痛症、口腔乾燥症、いびき治療、誤飲・誤嚥対策、三叉神経痛など口腔にかかわる神経疾患、各種先天異常、顎顔面変形症、歯科恐怖症、口腔心身症、慢性痛など、現代の歯科医療の範囲は多岐に渡ります。

そのあらゆる場面で患者さんの希望を聞き、検査・診断を行い、治療プランを説明・理解していただき、最新の歯科医学情報を提供し、代替治療についても検討し、予後や治療費用、治療費支払いの方法、治療期間、補償期間、各治療計画の利点・欠点、治療の必要性・優先順位、リスク、治療を行なわなかった場合の病状の進展、家庭における患者さんのセルフケア、定期検診・専門的機械的清掃・就寝時のスプリント着用・禁煙・丁寧なプラークコントロール・甘味制限などの患者さんの義務についてお話します。

必要があれば高次医療機関を速やかに紹介し、また専門分野でないか、自分がその治療に自信を持てないケースでは、緊急処置を行なった上で、他の医療機関での受診を勧める場合もあります。

 このようなインフォームド・コンセントの実施は、カウンセリングの形で行なわれるばかりか、治療の都度、必要に応じて医師・歯科衛生士から繰り返し行なわれます。

しかし問題点としては、ほとんどが予約制で行なわれている歯科診療形態の中で、時間に追われての説明となるために、歯科医院側の「説明」だけが先行し、患者さんの「思い」や「こだわり」、「既成概念」などを見落とし、一方的なままの情報提供になりやすいことです。

文書も提供したし、パソコンで説明したのに、結局、患者さんの気持ちを汲み取ることができなかったということがあります。

例えば、歯周病とむし歯が進んだぐらぐらの数本の歯にかぶせてあるブリッジをすぐにやりなおしてほしいという患者さんがいます。
医療保険では一度冠をかぶせた場合に、医院側に2年間の補償義務が生じますから、最低でも2年間はその治療のやり直しを避ける必要があります。

患者さんの前歯へのこだわりや希望は充分に理解できるのですが、言われるままにそのぐらぐらの前歯にブリッジをかぶせても、数ヶ月後にはブリッジごと歯が全部脱落することは火を見るよりあきらかです。その場合、ただでさえ厳しい保険者側から何を言われるか分ったものではありません。

このような場合、医院では言葉を尽くして、歯の根だけを残して、その上に義歯をかぶせるか、抜歯して総義歯にすることを勧めますが、説明技量の不足から、なかなか理解していただけない場合があります。

もし長期間の通院が可能で、全身状態や局所の骨の状態が手術に耐えられれば、保険外医療としてインプラントを用いて固定性の冠やブリッジにする方法もありますが、その場合は高額な治療費用やインプラントのリスクについても充分に納得した上での治療になります。

保険内ですぐにブリッジをつくってくれと言われても、結果を保証できない治療は断らざるを得ません。しかしそれでは患者さんの希望に応えることができませんし、医療機関の役割も果せません。

仕方ありませんから、こんな場合は、仮のプラスティックで仮のブリッジを暫間的に製作し、壊れたら来院してもらうことにして納得していただきます。患者さんの希望をある程度受け入れ、静かに残根の寿命が尽きるのを待つ姑息的な選択であり、正統な治療行為であるとはとうてい言えませんが、他に方法のない場合もあります。

医療においてインフォームド・コンセントを完全に実施することは多分不可能だと思いますが、理想の医療を追求する姿勢は守る必要があります。

本当に必要なことは、患者さんの心に向き合う姿勢そのものにあり、それは時代や医療の種類を問わず共通した課題だと思っています。