晩酌と歯周病  
 やっと仕事が終わって、帰宅して、風呂上りによく冷えたビールをまず一杯飲むことが、一日のストレスから開放される儀式になっている場合が多いことと思われます。

適度な飲酒を嗜む習慣は長寿につながるという報告もあったと思いますが、誰がなんと言ってもやめられない就寝前のリラクゼーションテクニックであり、この数刻のために俺は生きているのだと豪語する気持ちにも激しく同意できます。

なにかと住みにくい世の中で、何十年間も生き抜くためには、耐え難きを耐え忍び難きを忍ばなければならず、くつろぎながら飲む一杯が今日という辛い日の塵芥を洗い流し、明日に向かってリセットするために絶対に必要だとする気持ちは充分に理解できます。

したがって、できればそのような幸せの習慣に水を注すような野暮やお節介は言いたくないのですが、就寝前の飲酒習慣は、中高年の男性陣によく認められる治りにくい歯周病の原因のひとつになっている場合が多いので、現在、歯周病治療中の患者さんにとっては注意が必要です。特に40歳以上で、歯周ポケットの深さが6mmを越える痩せ型の男性は、経験上、例え禁煙しても、治療期間中のナイトキャップを中断しないとなかなか歯槽骨の再生が起きてきません。

喫煙習慣が歯周病の悪化に深い関わりを持つことには、明確なエビデンスがあり、信頼のおける大規模なコホート研究(Cohort Study:喫煙者、禁煙者、非喫煙者のそれぞれの集団の長期的な追跡調査)も為されています。しかし晩酌習慣が歯周病の難治性と関係あるかについては、ほとんどリサーチされていません。したがってこれはあくまでも臨床実感に過ぎず、本当の要因を見逃している可能性もありますが、通常のプラークコントロールを行った上で、治療期間中の晩酌習慣を自粛していただくという情け容赦のない指導を行った後に、難治性の歯周病が改善したというケースを何例も経験しています。


 むし歯の原因となるむし歯菌は糖類、特に砂糖を酵素により分解(解糖)してピルビン酸をつくり、さらにこのピルビン酸を様々な物質に加工する過程でATP(アデノシン三燐酸)を産生し、細菌が生きていくためのエネルギーを取り出します。

 これに対し、例えばPorphyromonas gingivalis などの歯周病菌は、歯と歯肉の間の歯周ポケット内に溜まる血液成分や周囲結合組織のタンパク質を蛋白分解酵素によりペプチドや各種アミノ酸に分解する過程で、エネルギーを取り出します。

つまりむしば菌は砂糖を餌とし、歯周病菌はタンパク質を餌として増殖していきます。

また歯周病菌は最初に歯の表面に付着した口腔連鎖球菌を足がかりとしてバイオフィルムを形成する仕組みを持っています。


 ビールも日本酒も焼酎もワインも、あらゆる醸造酒や混成酒(リキュールなど)の中にはむし歯菌の利用できる糖質(グルコースや果糖などの炭化水素)が含まれています。

東急ハンズで買った地ビール製造キットには「うまいビールの素」と酵母菌(イースト)、王冠、打栓機、発酵容器、エアーロック、フィラーが入っていますが、殺菌・消毒した容器にお湯に溶かした砂糖と「うまいビールの素」、水を加えて、これにイーストを振りかけて18〜20度で一週間発酵させて製造します。発酵が完了したら、大瓶に対し4g、中瓶に対し3gの砂糖を加えてビール液を瓶詰めします。ほら砂糖が入っているでしょう?

日本酒は澱粉(アミロースとアミロペクチン)を麹カビの産生するアミラーゼでブドウ糖まで分解し(糖化)、このブドウ糖(グルコース)を酵母菌でアルコール発酵させて作ります。ブドウ糖のすべてがアルコールになるかというと、アルコール発酵を行う微生物が、自らが作り出したアルコールによって活動を阻害されてしまうために、一定のアルコール濃度に達すれば発酵は停止し、残りのグルコースは残存します。

ビール、日本酒、ワイン、シードルなどの醸造酒は、酵母菌(イースト菌)が糖分を食べて、アルコールと炭酸ガスを出すという微生物の働きを利用して作られているのですが、このような醸造のメカニズムから、かならず糖質が含まれる飲み物になります。

ではウイスキーや焼酎、ジンやブランデーのような蒸留酒はどうでしょうか?これら蒸留酒の場合、醸造酒を加熱した蒸気を冷やしてアルコール度数をあげてつくられるために、蒸気になりにくい糖質やアミノ酸、脂肪、ミネラルなどが含まれず、醸造酒や混成酒に比べればむし歯や歯周病になりにくいはずです。

でも実際は、毎晩焼酎を飲んでいる方もむし歯や歯周病が進む場合が多く観察されます。焼酎を砂糖の含まれる炭酸ソーダ類などで割る場合は砂糖の影響により、むし歯菌が増え、それを足がかりに歯周病菌も定着していくわけですが、やはりエタノールの中枢抑制作用、つまり酩酊により、正確なプラークコントロールが行えなくなることが一番の原因ではないでしょうか?また末梢血管拡張作用により血漿成分の漏出量が増え、歯周病菌の餌となるタンパク質がポケット内に増えるためとも考えられます。

気持ちよく酔った後に、歯垢染色液を使って精密なプラーク除去を行えるとしたら、あなたはよほど強固な精神力と驚異的な運動機能を兼ね備えた方であると言えるでしょう。


 したがって、もしあなたが重症の歯周病の治療中であったなら、まず禁煙を行い、次に少なくとも治療期間中の晩酌を避けるべきでしょう。

お酒もだめ、タバコもだめだと、このようなタリバン的・教条主義的な宣告をすると、必ず「では飲んだ後にすぐに歯磨きをすればいいんじゃないの?」と言われます。でも砂糖分子やタンパク質分子の大きさと歯ブラシの毛先のサイズとにはあまりにも違いがありすぎますので、完全な細菌の餌となる分子の除去など不可能であり、就寝時にお口の中に残った餌を利用して、唾液分泌量が低下するために自浄作用の及ばない睡眠中に指数関数的にお口の細菌が増えることになってしまいます。

やはりお口の中の糖分等を細菌が代謝し尽す一定の時間、就寝前に糖質を含む飲み物や食べ物を摂らないほうが安全です。

毎日の晩酌をやめるくらいなら死んだほうがましだという患者さんもたくさんいらっしゃいますが、そのお気持ちが痛いほど理解できるところに歯周病治療中の食習慣指導のむつかしさがあります。

決して一生お酒を飲めないわけではありませんので、8020さらに9020を達成し、楽しいシルバーエイジを過ごすためのひとつの選択肢として治療中の禁酒、禁煙をご検討ください。古来、大酒飲みに8020を達成できた方はほとんどいらっしゃいません。有名な大酒飲みはほとんど歯無しになっていきます。例外はもちろんたくさんいらっしゃいますが…