出典及び参考文献:@「口腔感染症におけるバイオフィルム形成菌の役割」 大阪歯科大学教授 細菌学講座 福島久則  日本歯科医師会雑誌2005 VOL.58 NO.2 平成17年5月10日発行 P17〜28 A新しい時代への戦略と戦術  松本歯科大学歯科薬理学講座 教授 王 宝禮 「バイオフィルム感染症としてのう蝕治療法」信州歯報2004年1月号〜11月号 他

   バイオフィルム感染症としてのむし歯と歯周病   
 
 バイオフィルム 

バイオフィルム(生物膜)は、微生物が排泄するEPS(exopollysaccharide、グリコカリックス)で囲まれた組織化されたコミュニティーであり、組織や異物に付着、定着して増殖し形成された集塊である。すべての細菌の99%はバイオフィルムの中で生活している。このバイオフィルムによって引き起こされる難治性感染症、慢性持続感染症をバイオフィルム感染症と呼ぶ。


 quorum-sensing system クオラム・センシングシステム(集団密度感知制御系) 

歯垢内やバイオフィルム内の細菌は、塊になることによりお互いの存在を認識し、相互作用が生ずる。この細菌の細胞間情報伝達システムをquorum-sensing system クオラム・センシングシステム(集団密度感知制御系)と呼ぶ。細菌間の情報伝達により、個々の細菌の遺伝子発現は変わり、病原因子の発現など性状が変化していく。

 HSL ホモセリンラクトン(acylhomoserine lactone)

「細菌は、物の表面に付着因子(adhesin)で付着して増殖を開始し、やがてマイクロコロニーを形成する。マイクロコロニーが形成されると、quorum-sensing systemと呼ばれる細菌間コミュニケーションシステムが働き、細菌が会話に用いる小さな分子が増加してくる。緑膿菌のようなグラム陰性菌は、ホモセリンラクトン(acylhomoserine lactone HSL)と呼ばれる分子を産生する。マイクロコロニーが成長して細胞密度がある一定以上の濃度になると、一層HSL分子が産生されるようになる。このHSL分子は転写活性化因子に結合して、EPS産生を含む様々な病原因子を産生することで環境から自身を守るように働く。」(「口腔感染症におけるバイオフィルム形成菌の役割」 p18より引用)

「いったんバイオフィルムが形成されると、抗菌薬や消毒薬は菌体に到達しにくく、バイオフィルム内の細菌には効きにくい。またEPSは好中球やマクロファージなどの貪食細胞に対してバリアーとして働くので、EPS内の細菌は貪食細胞の食作用から免れる。それゆえEPS産生菌を病巣から排除するのは困難となり、バイオフィルム感染症は難治性、慢性持続性感染となる。」(福島久則教授 「口腔感染症におけるバイオフィルム形成菌の役割」 p18より引用)


 バイオフィルム感染症としての齲蝕、歯周病  

「歯がある場合、ヒトの口腔内には、3百種を超える細菌種が数十億個も住み着いています。口腔清掃(歯ブラシ)が悪い場合、その数は1兆個近くになってしまいます。
齲蝕・歯周病は、ひとつの原因細菌だけで起こるものではなく、必ず複数の細菌が存在し、病原性のバイオフィルムを形成します。バイオフィルムを形成する細菌は、緑膿菌、黄色ブドウ球菌、肺炎桿菌、肺炎球菌、齲蝕原因菌といわれているミュータンス連鎖球菌、さらに細菌表面に莢膜多糖やリポ多糖(LPS)をもつ歯周病原因菌といわれているグラム陰性嫌気性桿菌があります。
バイオフィルムが形成されるには、まず、唾液や歯肉溝から出る組織液に含まれる糖タンパク質に由来するペリクルという膜が形成されます(図1)。歯ブラシを怠った場合など、齲蝕・歯周病の原因菌が、歯あるいは歯周ポケット内の固相面のペリクルを足掛かりに付着し、マイクロコロニーを作り、やがて病原性のバイオフィルムが形成されていきます。
 齲蝕の場合は、歯の表面で齲蝕原因菌が産生するグリコカリックスで覆われたバイオフィルム内は、細菌と砂糖が出会うかっこうの場でもあります。すなわち、細菌と砂糖との代謝産物がバイオフィルムをより強固に歯の表面に定着させ、歯の局所で酸産生され、虫歯つまり齲蝕が進行していくのです。
歯周病の場合は、歯周ポケット内でバイオフィルムが形成され、バイオフィルムより放出された細菌が浮遊し、歯肉上皮に付着し、侵入します。細菌の刺激が持続すると歯肉の中で傷害を与え、免疫系を壊し、やがて骨を溶かす細胞を活性化し、歯槽膿漏つまり歯周病が進行していきます。」

「デンタルプラークとは、細菌が固まった集積物で、バイオフィルムとは、それらの細菌が産生したグリコカリックスと言われる糖タンパク質で囲まれた複数の細菌の生活集合体と言えます。実際の口腔内では、デンタルプラークが時間をかけ成熟すると、歯などの固相面に強固に結合します。その段階で、細菌はグリコカリックスを産生し、バイオフィルムの状態となります。すなわち、歯ブラシでとりやすいものをデンタルプラーク、とりずらいものをバイオフィルムと分けて考えてもよいのかもしれません。」(王 宝禮教授 「バイオフィルム感染症としてのう蝕治療法」信州歯報より引用)

 歯垢はバイオフィルムである 

「成熟した歯垢内では多種多様な細菌が生死を繰り返し、酸を含む種々の物質が産生されたり、菌体成分が周囲の環境に放たれることで、齲蝕や歯周疾患を引き起こす。このような歯垢は、以下に示すような特徴を持つ。

 抗生物質や消毒薬は深部の細菌まで届きにくい。

 歯垢内には細菌が存続するための水路や栄養路が存在する。

 歯垢内に蓄積した酸などの産生物が拡散するのを妨げている。

 歯垢内部ほど嫌気性は高くなる。

 そして歯垢は「歯の表面にみられる微生物の多様なコミュニティーで、宿主や細菌由来のマトリックス・ポリマーに埋もれたバイオフィルム」として定義されている。ただ歯垢を構成する細菌の多くは、ショ糖が存在しない環境で菌体周囲に緑膿菌のような網目構造をつくらない点で、一般医科でいうバイオフィルムとは若干違う。」(福島久則教授 「口腔感染症におけるバイオフィルム形成菌の役割」 p18、19より引用)

 口腔バイオフィルム形成菌の病原性 

 口腔バイオフィルム形成菌には、非形成菌と比較して強い膿瘍形成能がある。

 「EPSを形成しない細菌は、即座に貪食細胞に捕食されるために膿瘍は形成されない。一方、EPS産生菌ではEPS自身が免疫細胞をまったく刺激しないにもかかわらず、菌体成分の刺激で貪食細胞は集まってくる。しかしEPSが菌体を保護すているので、貪食細胞は菌体を捕食することができない。その結果、貪食細胞からリソゾーム酵素や活性酸素が放出され、膿瘍が形成されるのであろう。」(福島久則教授 「口腔感染症におけるバイオフィルム形成菌の役割」 p20より引用)

 バイオフィルム感染症としての歯周病治療 

「これまでクラリスロマイシン、アジスロマイシンが歯周病原因菌単独への効果に対する報告のみですが、これらマクロライド系薬剤が、バイオフィルムEPS溶解能をもつことから、私は今後バイオフィルム感染症としての歯周病治療には有効であると考えています。すなわち、バイオフィルムに対してマクロライド系薬剤を浮遊細菌に対してテトラサイクリン系薬剤を上手に応用していくことと考えています。

さて、5月25日に東京歯科大学で行われた日本で最初の「バイオフィルム研究会」に参加し、3DS及びイソジンゲルを用いることによって歯周病原因菌由来のバイオフィルムに対して効果を上げているという報告がありました。
私は、難治性の歯周病に対しては、局所と全身への薬剤投与によって治療することが戦略のひとつだと考えています。」(王 宝禮教授 「バイオフィルム感染症としての歯周病治療法」信州歯報より引用)

「早期発症型(侵襲性)歯周炎の発症には宿主・細菌および環境要因が多重的に関与すると考えられており、特にバイオフィルム除去の根幹に関わる歯周基本治療は治療の成否を方向づけます。本疾患が難治性である理由は、ポケット底部のバイオフィルムと、歯肉組織に長期に停滞する原因菌だと考えられます。マクロライド系抗生物質は、バイオフィルムへの良好な浸透性と菌体内グリコカリックス産生系におけるGMD(guanosine diphosphomannose dehydrogenase)酵素活性の抑制による多糖体産生抑制を示し、バイオフィルムの形成抑制と破壊への有効性が示唆されているところに着目しました。そこで、マクロライド系抗生物質であるアジスロマイシンは、低濃度で組織移行性が大きいこと、バイオフィルム破壊能を有していることから、早期発症型(侵襲性)歯周炎患者の基本治療においてバイオフィルムの除去に有効性のあることから、本剤を選択しました。」(王 宝禮教授 「バイオフィルム感染症としての歯周病治療法」信州歯報より引用)

「最新早期発症型歯周炎治療法

早期発症型(侵襲性)歯周炎の臨床診断のもと、アジスロマイシン併用に協力の得られた患者5名(男性1名・女性4名、23歳-34歳、平均29.6歳)について、初診後、約1−2ケ月の間に、歯周基本治療(口腔清掃指導およびスケーリング・ルートプレーニングなど)を行い、的確な口腔清掃方法を修得したと判断された後、アジスロマイシンを1日、500mg を3日間連続投与しました。その後、1) 歯周ポケット測定(PD)、2) Bleeding on Probing(BOP)、3)病的ポケット率(PoR;4mm以上の歯周ポケット比率)が改善するまで、月に1−2回程度PMTCを行いました。その結果、初診から歯周基本治療終了時の再評価までの治療期間は平均4.8ヶ月という短期間でありました。一方、これまでアジスロマイシンを投与してこなかった群は、PD, BOP, PoR改善までに、平均11ヶ月という長期間を要しました。明らかに、投薬での効果が数字に現れました。臨床症状の著明な改善が認められた驚くべき結果でした。」(王 宝禮教授 「バイオフィルム感染症としての歯周病治療法」信州歯報より引用)

「歯周病を考える
 これまでの多くの研究からアメリカ歯周病学会は、代表的な歯周病原因菌としてポルフィロモナスジンジバリス菌(Pg菌),アクチノバチラスアクチノマイセテムコミタンス菌(Aa菌), およびバクテロイデスフォーサイセス菌(Bf菌)などの口腔内常在菌であるグラム陰性嫌気性桿菌群と認めてきました。それゆえ、歯周病治療に対しては、細菌叢を知り、薬剤のもつ殺菌作用と静菌作用を上手く使い分ける必要があります。すなわち、歯周病原因菌が口腔内常在菌ということから、静菌作用のある抗生物質の選択が第一となります。
 歯周病に対する抗生物質には、バイオフィルム破壊と、組織移行性(歯肉内に長期間存在)の薬理作用もつ薬剤が必要だと考えました。私の研究成果では早期発症型歯周病治療においてPMTC、SRP法にマクロライド系アジスロマイシン(商品名:ジスロマック)を併用することによって、従来法と比較して半分の期間でメンテナンスに入ることに成功しました。」(王 宝禮教授 「チェアサイドで抗生物質を上手に使う  〜各論:口腔内科医の名医へのヒント〜」信州歯報より引用)


 バイオフィルム感染症としてのう蝕治療法 

 「一度バイオフィルムができてしまうと日常のブラッシングでは除去が困難になってきます。そこで、強固に付着したバイオフィルムの除去を目指した生活習慣を確立するために、最近では、主にう蝕予防に対して歯科医師や歯科衛生士によるPMTC(Professional mechanical tooth cleaning)と3DS(Dental drug delivery system)の併用方法が有効であると報告がなされています。

PMTC(ピ−・エム・ティ−・シ−)とは、歯垢染色液によって染め出し、バイオフィルムを歯ブラシ、スケーラー、エバチップなどのメカニカルなツールを駆使し、物理的にバイオフィルム・歯石の除去を行う方法です。そして、さらに除菌を完全にする目的のため、3DS(スリ−・ディ−・エス)という方法が開発されました。3DSとは、個人トレー(ドラックリティナー)にクロルヘキシジン(グルコン酸クロルヘキシジン)やフッ化物、イソジンゲルを塗布し、ミュータンスレンサ球菌に対する殺菌効果を期待する方法であります。

さて、ミュータンスレンサ球菌は、バイオフィルムの外膜となるグリコカリックス、デキストラン、グルカンなどの糖タンパク質を多量に産生するという性質を持ち、歯面上にのみ、特異的に付着・生息しているという性質を持っています。その性質を利用し、歯面に薬剤を塗布することによってう蝕の原因菌を特異的に除菌し、う蝕を抑制するという考え方であります。薬剤の塗布にはドラックリティナーを作成し使用します。ドラックリティナーを使用することで、薬剤が唾液に希釈されることなく歯面に対して確実に薬剤を塗布することができ、安全性も高いという利点があります。バイオフィルムへのクロルヘキシジンの薬剤効果は高く評価されているものの、歯科において口腔粘膜への応用は、厚生労働省の許可が得られていないのが現状です。

 しかし、先生方がアレルギー疾患の有無を十分審査し、投与に際してはその至適濃度を必ず守り、副作用発症のリスクを十分に考慮したうえでの応用は可能であります。 」(王 宝禮教授 「バイオフィルム感染症としてのう蝕治療法」信州歯報より引用)
 口腔バイオフィルム形成菌をどのように排除するか? 

「バイオフィルム形成とquorum-sensing systemとは密接に関連している。したがって一般医科ではquorum-sensing systemで重要な役割を果たしているHSL分子を阻害あるいは分解する物質の開発や、HSL分子に対するワクチン療法などが試みられようとしている。また従来からMIC(Minimum Inhibitory Concentration最小発育阻止濃度 微生物の発育を阻止するのに必要な抗菌薬の最小濃度。値が小さいほど抗菌力が大きい。 )以下のマクロライド剤によるバイオフィルム除去効果が報告されていたが、最近マクロライド剤がquorum-sensing systemを抑制することが緑膿菌で明らかにされたので、口腔バイオフィルム形成菌へのマクロライド剤の投与も有効な方法かもしれない。」(福島久則教授 「口腔感染症におけるバイオフィルム形成菌の役割」 p28より引用)

 う蝕を考える  生後19ヶ月〜31ヶ月の一年間が母子感染を防ぐDefense necessary period

「現在、むし歯の原因菌は、そのバイオフィルムを形成するグラム陽性好気性菌ミュータンスレンサ球菌(MS菌)であることが確認されています。これまでのMS菌の感染経路の研究から、その主な感染時期は歯が萌出している生後19〜31か月までの1年間であり、さらにこの菌は、元来口腔常在菌ではないことが明らかにされました。つまり、口の中に存在する必要のない菌だとわかってきたわけで、主な感染源は母親であり、実際には、育児の中で母親が使ったスプーンなどで子どもに食事を運ぶことで感染してしまうのです。この行為そのものは子どもの成長発育の上で必要不可欠です。そこで、母親の口腔内で増えるMS菌の菌量を予防管理で減少させることができれば、母親から子どもへの感染を防ぐことができることが証明されました。これらの発見から、PMTCとMS菌に対して特異的に殺菌作用の強いクロロヘキシジンを用いた3DS(信州歯報2004年5月号参照)によって、母子のMS菌を除菌しバイオフィルムをつくらせない状態にすることで、長期間う蝕を予防できる時代となりました。」(王 宝禮教授 「チェアサイドで抗生物質を上手に使う  〜各論:口腔内科医の名医へのヒント〜」信州歯報より引用)