2017年8月19日
     164「2017MOC八ヶ岳縦走
 
 2017.8MOC八ヶ岳縦走

 山にはいつか登れなくなる。診療もタービンを置く日がやってくる。思いの外、人生は素早く過ぎ去っていく。四半世紀に亘り、休日と言えば、妻子を打ち捨てて、講習会へ出かけるか山に登るかを繰り返してきた罪業は深く、必ずその報いを受ける日が待ち構えてはいるが、今はそれを甘んじて受けるしかない。
 当初、昨年の表銀座に続き、本年は裏銀座を踏破する予定でおりました。しかし諸般の事情からメンバーの一人がオンコールの状態にあり、一度水晶を越えたら、下山するまで最低一日以上必要な裏銀座を避け、エスケープルートが豊富で、いざとなればどこからでも4時間で下山できる八ヶ岳縦走にプランを変更しました。
 去る8月12日9時半にMOCの残党である3I1Kは麦草ヒュッテを出発しました。3I1Kは、最長老のI先生、計画を立案されたリーダーのI先生、明石から駆けつけてくださったI先生と小生Kです。便宜上順番にαI、βI、γI、それにKと呼ばせていただきます。80代のαI先生を始めとして全員がオーバーカンレキーズの登山隊は、少ない体力を豊かな(??)経済力で補い、すべてお風呂・個室つきの贅沢で余裕のある山小屋旅を企画しました。
先達するαI先生のザックに吊るされて澄んだ音色を響かせる小さな熊鈴に導かれ、コメツガなどの亜高山帯針葉樹と厚みのある苔が織りなす古代の原生林を辿りました。木の間からわずかな光が差し込むだけの静謐な森、時折聞こえる野鳥の聲、流れる霧を吸い込む緑の湿潤、木が岩を飲み込み、苔がその木と岩を包み、湿った土と苔の微かに甘く暖かいパルファムを呼吸しながら自分自身も深い緑に染まっていきます。




優婆塞の鈴に引かれて苔の森

丸山に登り、そして白駒池を見下ろす高見石を過ぎ、中山展望台のシラビソの樹林帯を過ぎる辺りからパラパラと降り始め、東天狗岳への急な登りにかかる頃には空は明るいのに、雨脚が強くなってきました。数年前にここを通った時は故藤村俊二さんに似た顔のカモシカに会えたのですが、今日は誰も出迎えてくれません。

東天狗岳からの鎖場を注意して下り、本沢温泉へ続く白砂新道との分岐付近に来ると雨が雪霰(あられ)に変わりました。手の甲や登山道に跳ねる氷の粒を見ると、今、天空の高みでは凄まじい過冷却と帯電が起きているのだなと思い、急に雷が心配になりました。幸い数分後には雨に変わり、根石岳山頂に立ち止まるのも慌ただしく、コマクサが両側に群生する登山道を通過して、このコマクサの監視小屋でもある根石山荘に予定より1時間以上遅れて着きました。根石山荘は小さいながらも雰囲気のある昔風の山小屋で、若いスタッフの皆さんの接遇も快く、快適に熟睡できました。

13日は朝霧の中を6時頃出発し、箕冠山(みかぶりやま)、夏沢峠を通り抜け、急な登りを快調に稼ぎ、硫黄岳の広い山頂で休憩しました。登山者が次第に増え、ファミリー登山や山ガール、単独行、山岳写真愛好家など様々の人たちが、硫黄岳の巨大な爆裂火口崖を楽しんでいました。硫黄岳山荘を過ぎると横岳への登りになります。この登山道の両側に広がる砂礫帯には、たぶん国内で最大のコマクサ群生地が広がっています。なぜ強風の吹きつける高山の荒地を自分の種のテリトリーに選んだのか分かりませんが、厳しい砂礫地にピンクのローズクォーツを惜しげなくまき散らしたように群生しています。
この縦走の核心部である大同心、小同心、横岳山頂付近(奥の院、無名峰、三叉峰)あたりは、なるべく下を見ないようにして通過しました。αI先生の一挙手一投足を参照し、しっかりとした鎖や支柱、岩のホールドを確保して、慎重に通過しました。何も鎖のない狭いナイフリッジの頂点を乗り越えるときが一番緊張しました。岩壁の狭いトラバース道を、落ちたら確実にこの世からサヨナラしなければならない奈落を見つめながら進むとき、最新宇宙論で記述されるマルチユニバースの中の多数の宇宙に、ここで滑落する自分がいることを実感できました。

しかし驚くべきは、このコースに小学生をつれてくる親の多いことです。ある母親は、上が中学生、下が小学校低学年の子供を4人従えて、このリスクのあるコースをあたりまえに通過していきました。単独行の若い女性も多く、こんな小さな子供も面白がって通過するコースだと感じた瞬間に怖さは消えていました。

奥の院の鎖場で後続の女性に追い抜かれた時には驚きました。20代前半のアスリートタイプのグラマラスな美しい女性で、小さなレインキャップとTシャツ、ショートパンツ、ローカットシューズ、25リットルくらいのザックという出で立ちで、肌寒い稜線の岩場を颯爽とこなしていきます。大胆に露出している太ももを岩角で削る心配をしていないのかと若い生命力に圧倒されました。

 久米仙人 神通力も脛(はぎ)に負け



 核心部を過ぎれば、後は梯子や鎖場を注意しているうちに1時頃、赤岳展望荘に到着しました。ここは大きな小屋で、食事はバイキング、有名な五右衛門風呂も経験できました。
翌朝は6時頃出発して、赤岳の頂上までの急斜面を40分程度登ります。効率よく高度を稼ぎ、小さめの赤岳頂上山荘が脇にへばりついている2899m頂上に登頂できました。小さな祠に参拝して帰路の安全を祈り、小休止の後、速やかに下山。中山を経由して、阿弥陀岳基部を通り、行者小屋を経由し、最終日の宿泊地である赤岳鉱泉に泊まりました。

小休止した行者小屋で、γI先生のザックに止まったキベリタテハの優美さを忘れることができません。白いレースの縁取りをした
光沢のある黒い繻子の端切れに似た蝶で、謎を秘めた夜の貴婦人のようです。なぜかγI先生について離れませんでした。

下山途中に県警のヘリが何回も大同心基部への接近を試みている光景を目にしました。しかし午後1時を過ぎてから深くなったガスが邪魔し、ヘリはなかなか接近できず、引き返していきます。我々が赤岳鉱泉に着き、昼食を摂っていると、小屋の上方200mに設置されているヘリポートにヘリが降下し、ロープで4人が懸垂下降しました。しばらくするとこの4人がテラスで食事している我々のすぐ傍に来たので、諏訪遭難対策協議会の救助隊員であることが分かりました。「大同心で誰か遭難したのですか?」と聞くと頷きました。どうもヘリでは接近できないので、直接遭難者を人力救助に行くようです。午後7時頃、10名くらいの隊員と一緒に2名の遭難者が赤岳鉱泉小屋に到着し、ご夫婦のうち蒼白な顔をした奥さまと思われる登山者が隊員に背負われて美濃渡山荘方向へ輸送されていったそうです。ご主人の安否は分かりません。無事でいてほしいと祈るとともに、救助隊員の皆さんの人名救助に対する尊い責任感やプロフェッショナルな技術の一端に触れることができました。

豪華なホテル並みの赤岳鉱泉小屋ライフを堪能し、翌朝、美濃渡口からバスと電車で松本へ帰りました。もし天と家族が許してくれるのなら、もう少しの間、稜線を闊歩したいものだと考えています。

すばらしい仲間に感謝します。
窪田裕一